no-dice

Winter's Tale 2


隣を歩いていた筈の巽の背中が、いつのまにか少し離れた前方を歩いていた。
『タツ、おい、タツ』
松田は、自分を振り返ろうともせず歩き続ける巽を呼び止めようと口を開いたが、何故か声が出なかった。
松田はもどかしげに腕を伸ばして、巽の肩を掴もうとした。が、いつの間にそれほど離れてしまったのか、伸ばした腕は巽に届きそうで届かなかった。
『タツ、待てって』
何故か、このまま離れてしまっては、二度と会えなくなるような気がして、もう一度巽の名を叫ぼうとしたが、やはり声は出なかった。
『タツ!』
松田の声は巽に届くことはなく、巽はそのまま遠く、遠く歩み去ってしまった。

「タツ!」
自分の声で目を覚ました松田は、見覚えのある白い無機質な天井を見上げて、全てを思い出した。細い腕には、点滴の管が繋がれており、源田が泣き出しそうな顔で松田を見守っていた。
『俺は、結局死に損ねたのか・・・』
松田は、茫然と天井を見上げた。何もかもが終わったのだ。もう二度と巽は戻らない。胸の奥に、夢の中で見た、遠ざかる巽の後ろ姿が甦った。
源田は、ほとんど泣くようにして、松田を責めた。
「リキ―――リキよぉ、おまえにまで何かあったら、俺は―――俺たちはどうしたらいいんだよ!?」
「ゲン―――悪かったよ」
松田は、源田の心配を宥めるように、かすかに寂しげな微笑を浮かべた。
「タツだって、最期までおまえのことを心配してた」
「―――そうか」
巽らしいと思った。斜に構えて見せるくせに、根は危なっかしいほどに真っ直ぐだった巽。自分のことよりも、松田のことばかりを気に病んで逝ったのだろう。
『バカヤロウ。俺の心配をするくらいなら、何故死んだ?』
ぶつける先のない、行き場のない想いだけが松田の胸を満たしていった。叶うことならば、この身と引き換えに巽を返して欲しかった。だが、それは決して叶うことがない、空しい願いだった。
「悪かったよ、ゲン。もう心配はかけねぇよ」
松田は、苦い後悔を振り切るように、もう一度寂しい微笑を浮かべて源田を見つめ返した。
「リキ」
本当は、喚きだしたかった。何もかもを忘れて泣き叫びたかった。だが、松田にはできなかった。できるのは、強がって笑みを浮かべることだけだった。
松田は、小さな白い骨を一つ一つ摘み上げたように、巽との思い出を一つ一つなぞった。
初めて出会ったときの、ぎらついたナイフのような眼差し。打ち解けた後の少年のような笑顔。肩を並べて歩いた月夜の裏街。靴底が磨り減るまで聞き込みに歩いた夏の街角。松田の爪弾くギターに合わせて歌った、巽の甘い歌声。下手くそな将棋。他愛のない馬鹿話に興じた夜。松田に子供扱いされて拗ねていた巽の横顔。巽の背中に凭れて見ていた夜の海―――。
松田は、一つ一つの思い出を、胸に刻み込んだ。刻み込んで、固く封印をした。もう二度と思い出すことはないだろう。思い出と共に生きていくのは辛すぎる。
巽は、松田の一部になったのだ。あの白い骨は、松田の体に溶け込んでいくだろう。そして松田が死ぬその時まで、松田と共に生きるのだ。
それが、松田にとってのたった一人での巽との告別の儀式だった。

[END]
2003.03.04

[back] [Story]