As Time Goes By

ベッドの軋みで目を覚ますと、部屋の中はまだ薄暗かった。
「あ、悪ぃ、起こしちゃった?」
巽が松田の身体越しに、サイドテーブルに放り出された煙草に手を伸ばしていた。
「ん――、俺にも」
煙草を手にヘッドボードに凭れかかった巽に向かって手を伸ばす。巽は火をつけた煙草を、松田の口元に差し出した。
「サンキュ」
松田は目を閉じ、煙を深く吸い込んだ。隣で巽が同じように煙草をふかす気配がした。
しばらくは、沈黙と煙草の煙に身をまかす。

「よっ」
小さく声をかけて松田は身を起こした。立てた右膝に肘を突いて煙草をふかし、ちらりと時計に視線を投げる。
「――もう、こんな時間か」
そう呟いた松田の身体に巽の手が伸びる。後ろから包み込むように抱き寄せて、松田の肩に額をつける。
「――なあ、俺達、いつまでこうしていられんのかな?」
「そうだな――取り合えず1時間ってとこだな」
松田の答えに、巽が溜め息を吐く。
「そうじゃなくってさあ・・・」
「――くだんないこと考えんなよ。どうせ――」
言いさして口を噤んだ松田に、巽が先を促した。
「どうせ?」
「いや、なんでもない」
どうせ、 将来(さき)などありはしない。行き止まりの関係。そんな判りきったことを、今更口にするのは馬鹿げている、と思った。
「このまま時間が止まっちまえばいいのに・・・」
巽が小さく呟いた。
「――莫迦」
松田は小さく笑って、巽の髪をくしゃりとかき混ぜた。
このまま時間が止まればいい。
だが、時計の針は澱みなく時を刻み続ける。人はただ、過ぎ行く時に身をまかす他はない。
いつか必ず別離はやってくる。そして、それは明日かもしれない。
いや、と思い直して松田は苦く笑った。別離は、今日訪れるかもしれない。刑事という仕事に就いている以上、これから始まる今日という一日さえ確かなものではありえない。
死ぬことは怖くなかった。ただ、喪うことが怖かった。
違う誰かを選べばよかった。少なくとも明日が保証されている誰かを。喪うことを恐れずにすむ誰かを。
巽も同じことを考えている。何も言わず、松田の肩に額をつけたまま、身じろぎもしない巽の温もりに抱かれて、松田はそう思った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


何故そんな時間に目が覚めたのか判らない。まだ部屋の中は暗かった。薄明かりの中で、巽は傍らで眠る松田の顔を透かし見た。規則正しい寝息が聞こえる。
どのぐらいそうしていたのだろう。ふと、煙草が欲しくなった。眠っている松田を起こさないよう身を起こし、サイドテーブルに放り出された煙草にそっと手を伸ばす。身体の下でベッドが微かに軋んだ。 松田が目を覚ました気配がする。
「あ、悪ぃ、起こしちゃった?」
煙草を手に取り、ヘッドボードに背を預ける。くわえた煙草に火をつけると、松田が手を伸ばしてきた。
「ん――、俺にも」
くわえていた煙草を松田の口元に差し出す。
「サンキュ」
松田は目を閉じ、煙を深く吸い込んだ。新しい煙草に火をつけて、巽も目を細めて煙を深く吸い込んだ。
しばらくは、沈黙と煙草の煙に身をまかす。
「よっ」
松田が小さく声を掛けて、身を起こした。立てた右膝に肘を突いて煙草をふかし、ちらりと時計に視線を投げる。
「――もう、こんな時間か」
小さく呟いた松田の後ろ姿が遠く思えて、思わず手を伸ばした。後ろから包み込むように抱き締めて、松田の肩に額をつける。
「――なあ、俺達、いつまでこうしていられんのかな?」
「そうだな――取り合えず1時間ってとこだな」
つれない松田の答えに、巽は溜め息を吐いた。
「そうじゃなくってさあ・・・」
「――くだんないこと考えんなよ。どうせ――」
言いさして、松田は口を噤んだ。その先は聞かなくてもわかっている。
「どうせ?」
「いや、なんでもない」
どうせ、 将来(さき)などありはしない。行き止まりの関係。そんなことは、初めからわかっている。
それでも松田が欲しかった。他には何もいらない。そう思った。
だが、人間とはどこまでも強欲なものだ、と巽は思う。手に入れれば、今度は失うことが怖くなる。この腕の中の確かな温もりをいつまでも抱いていたい。
「このまま時間が止まっちまえばいいのに・・・」
巽は小さく呟いた。
「――莫迦」
松田が小さく笑って、巽の髪をくしゃりとかき混ぜた。つれないくせに、松田の手はいつも優しい。優しすぎて辛い。
いつか必ず別離はやってくる。松田が他の誰か、おそらくは女を愛する時までの、かりそめの関係にすぎないと知っている。
それとも――。自分が死ぬ方が先だろうか。ふと、そう思った。刑事という仕事に就いている巽にとって、死は身近なものだった。明日、いや今日それは訪れるのかもしれない。だが――。
死ぬことは怖くなかった。ただ、喪うことが怖かった。
松田を喪うくらいなら、他の誰かを愛する松田を見ている方がいい。松田を喪うくらいなら――。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ふいに松田を抱いていた腕を解いて、巽は大きく伸びをした。
「あーあ。今日泊りだよ。やってらんねーな」
ぼやく巽を横目で見やって、松田はくすくすと笑いを零した。
どうせ、下手な将棋に付き合わされることになる。この前の宿直に付き合わせてしまったから。
松田は肩を竦めて、煙草の煙を深く吸い込んだ。
――本当に、いつまでこうしていられるんだろう。
朝が来る。今日という一日が始まろうとしている――。

[END]
[Story]