Temptation

〜挑発〜

広い廃工場に、高く低く、何発もの銃声が響いた。
西部署捜査課に追い詰められた拳銃密売組織の最後の抵抗だった。互いに廃屋の柱や取り残されたコンテナなどを盾にしての銃撃戦が続いていた。
キンッと甲高い音がして、柱の一本に跳弾が跳ねた。
銃声が響き渡る中の、一瞬の異質な音に巽が振り向くと、柱を盾に立つ松田の左頬に一筋の赤い線が走っていた。
つっと伝い落ちる赤い血を、何事もなかったかのように左手で拭った松田が、視線を巽にちらりと投げた。にやりと笑って見せると、巽を見つめたまま、松田は自分の血に濡れた左手に舌を這わせ、綺麗に血を拭い取った。
視線を外すことができずにいた巽の背筋を、言いようのない感触がぞくりと駆け上った。
次の瞬間、松田は、もう巽のことなどどうでもいいように、マグナムを構えなおすと、引き金を続けざまに引いた。廃工場の奥で、松田の放った銃弾の数だけ、男たちが倒れていった。
戦神のように立つ松田の姿に眼を奪われていた巽の至近を銃弾が掠めた。
「危ない!」
松田が、身を投げ出すようにして、巽をコンテナの後ろに押し倒した。数秒前まで巽のいた場所を銃弾が駆け抜けていった。
松田の細い体の下で、咄嗟のことに呆然と松田を見上げた巽の唇に、松田の胸元から零れ落ちた金の鎖がさらりと触れた。鎖には松田の体温が残っているのか、ほのかに温かかった。巽の頭を抱え込んだ松田からは、整髪料と硝煙の匂いに混じって、微かに甘い血の匂いがした。
「ぼんやりしてんじゃねぇよ」
身を起こした松田が、巽の頭を小突く。高鳴る鼓動にどぎまぎしている巽を置き去りにして、松田は身を翻して廃工場の奥へと駆け込んだ。
銃弾を撃ちつくした男たちは、最後の悪あがきに大門軍団の面々に必死の形相で殴りかかってきた。
慌てて身を起こした巽も、肉弾戦の中に入っていった。殴り、殴り返され、また殴る。相手の急所を蹴り上げ、身を折ったところへ、背中に肘を入れる。後ろから羽交い絞めにされ、両足を振り上げて、目前の男を蹴り倒す。羽交い絞めにしている男を振り払い、右、左、右、と拳を繰り出す。膝を折った男に手錠をかけて、ほっと息を緩める。
ふと気づくと、左手の掌に血が滲んでいた。脳裡に、つい先刻の松田の姿が甦る。赤い血を舐め取る、淫靡な生き物のような松田の舌―――。
「血が出てんじゃねぇか」
いつの間にか近づいてきた松田が、巽の左手を掬い取り、口元に運んだ。どきりと巽の胸が高鳴る。 柔らかな舌が、傷口をなぞるようにそっと血を舐め取っていく。傷口のひりひりした痛みの中に、ぬるりと温かい感触が這いずり、巽の身体の芯を熱くした。
「リキさん―――」
掠れた声で巽が松田の名を呼ぶと、松田は視線だけを上げて、巽を見つめ返し、そろりとまた傷口を舐めた。
にやりと笑った松田は、巽の腕を引っ張り引き寄せると、耳元に蕩けるように甘い囁きを注ぎ込んだ。
「お前の血、甘いな―――」
言葉以上に甘いテノールに、巽の背筋を身体の中心に向けて、名づけようのない衝撃が走った。
一瞬息を呑んだ巽の脇を擦り抜けるようにして、松田は、倒れている男に歩み寄り、引きずり起こすと手錠をかけた。
振り向いた巽の戸惑いなど知らぬげに、両脇に男を引きずりながら松田は廃工場を後にした。
「どうしたよ、タツ?」
いきなり後ろから源田にどやされて、巽は飛び上がりそうに驚いた。どきどきと高鳴る胸の鼓動を聞かれたか、といっそう鼓動を速める巽に、源田は怪訝な眼をくれると、やはり両脇に男を引きずりながら、黒パトへ向かった。
左手の掌に残る淫靡な温もりをそっと握り締めた巽は、足元に蹲っていた男を引きずり起こして、廃工場を後にした。

2004.04.01
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