Can't stand・・・


◇1◇

きっかけは、些細なことだったように思う。
大きな事件の後、少し時間に余裕ができた夜、松田はいつものように巽の誘いに乗って、よく行く小料理屋で夕食を摂った。
いつもと変わらず、他愛のない話に興じ、屈託なく笑い合っていた。
そのまま、いつものように巽の部屋まで歩き、ビールを片手に話し込んでいるうちに、ほんの些細な言葉の行き違いから、巽と口喧嘩になってしまった。
どの言葉が引き金になったのか、もう思い出せない。
それほど些細な行き違いなのに、どういう訳か二人とも、いつになく激高し、引っ込みがつかなくなった。
「もういい!お前みたいな分からず屋は、勝手にしろ!」
そう捨て台詞を残して、松田は巽の部屋を後にした。
苛立ちに任せ、早足で家路を辿り、ドアを閉めてから溜め息をついた。
「分からず屋め!」
松田は、そう小さく声に出して吐き出すと、のろのろとリビングへ向かった。ひどく疲れたような気がして、ソファに身を投げ出した。
『どうして、リキさんはいつもそうなんだよ!?』
あれは、松田が何を言った後だったろうか。巽の詰るような声が、耳によみがえる。
こうして考えてみると、一つ一つの言葉はもちろん、何を言い争ったのかさえ思い出せない。
いつもなら、松田が年上の余裕で巽をいなしているうちに、巽の方が拗ねてしまい、喧嘩らしい喧嘩になることはない。
結局、余裕をなくしていたのは、松田の方だったのかもしれない。
そう思いはしたが、それに対して譲ることを知らない巽の稚さが腹立たしかった。
『謝りにくるまで許さねぇ』
子供じみた考えに捉われながら、結局は巽を待ってしまっている自分に気づき、いっそのこと謝りに行こうかとふと思う。思う端から、それでは巽がつけあがる、などと思い直して、浮かせかけた腰を下ろす。
そうしてイライラとした時間を過ごしているときに、唐突に玄関のチャイムが鳴った。
松田は、くわえていた煙草を慌ててもみ消すと、足早に玄関へ向かった。
ドアを開けると、そこには無意識に期待していた巽の姿はなく、一別以来音沙汰のなかった学生時代の旧友、加山が佇んでいた。
「―――加山」
松田は、そう呟いたまま、言葉をなくして立ち竦んだ。
3年間アメリカに駐在していた商社マンの加山は、帰国してすぐに松田に会いに来た。
松田は、旧友の来訪を喜び、二人で遅くまで酒を飲んだ。松田にとっては、ただそれだけのことだったが、加山にとって、松田との再会は特別な意味を持っていた。
酒の勢いにかられてか、加山は、松田に対する思いの丈に任せて、強引に松田の唇を奪ったのだ。
親友だと信じていた加山の豹変に、松田は戸惑った。松田の戸惑いに乗じて、それ以上の行為に及ぼうとした加山を力任せに振り切り、松田は加山の部屋を後にした。
松田は、長年の親友を一夜にして失ってしまったのだった。
それ以来会っていない加山の突然の来訪に、松田は無意識に体を強張らせた。
「―――松田。あの時はすまなかった」
加山の謝罪に、松田はかろうじて微かな笑みを浮かべてみせた。
「もう、忘れたよ」
そう言いながら、旧友を部屋の中へ招じ入れようともしない松田の、言外の拒絶を敏感に感じとったのか、加山は苦く笑ってみせた。
「中へ入れてもくれないんだな」
「加山」
何もかもを忘れて、水に流し、昔の悪友に戻りたい。それは、松田の偽らざる気持ちだった。しかし、一度感じてしまった嫌悪感を拭い去ることができないのも、また事実だった。
「お前の気持ちも考えずにあんなことをして、本当に悪かったと思っている」
いったん言葉を切った加山が、意を決したように再び口を開いた。
「けど、お前への気持ちは、真剣なんだ。男が男に対してそんなこと、と思うかもしれない。俺も、初めは自分で自分が分からなかったよ。けど、アメリカへ行って、お前と会えなくなって、お前への気持ちに気づいたんだ。3年は長かった。ようやくお前に会えて、俺は―――」
言い募る加山を前に、松田は苦しげに顔を歪めた。
「加山、俺は―――」
『男が男に対して』―――加山の言葉が、松田の胸に突き刺さった。
皮肉なことに、加山の行為は、松田が巽に対して無意識に抱いていた想いを暴き立てたのだ。
酒の上の戯れに始まった巽との淫靡な関係は、加山の出現によって、大きく意味を変えた。そのことに気づきながら眼を背けようとした松田に、巽は、隠し持っていた想いの丈を素直にぶつけて来た。
『俺は、あんたに惚れてんだよっ!』
何故、巽を受け入れることができ、何故、加山を受け入れることができないのか。松田自身にも答えは出せなかった。出会った順というのなら、加山の方がはるかに早い。にも拘らず、松田は巽を選んだ。それを今さら変えることはできない。
「松田。俺とのこと、考えて貰えないか?」
懇願するような加山の言葉に、松田はただ黙って力なくかぶりを振った。相手が女であれば、「付き合っているヤツがいる」と素直に言えただろう。だが、真実を口にすることは、松田にはできなかった。
「どうしてもダメか?」
傷ついたように顔を歪ませた加山は、思い余ったように腕を伸ばし、松田の細い背を抱き締めた。
途端に湧き上がる嫌悪感に、身を捩って逃れようとする松田を、加山はいっそう力を込めて抱き締めた。
「愛してるんだ」
「加山、放せ!」
「リキさん!?」
思わず荒げた声に、聴き馴染んだ、だが今聞こえるはずのない声が重なった。
加山の強引な腕の中でもがきながら、松田は声のほうへ顔を向けた。そこには、驚いたように立ち竦む巽の姿があった。
「タツ!」
松田が渾身の力を込めて加山の身体を押しやると、さすがに巽の目を憚ったのか加山も松田の体を放した。
しかし、巽のきつい眼差しを受け止めて、加山は怯むことがなかった。
「あんた、何やってんだよ?」
松田の元へと歩み寄りながら挑戦的に問いかける巽に向かって、加山は悠然と答えた。
「悪いが、松田と話があるんだ。遠慮してもらえないか?」
ぎりっと眦を吊り上げた巽は、ちらりと松田の方へ視線を向けると、加山には構わず、松田に問いかけた。
「大事な話?」
松田は、答えに窮し、巽の視線から逃れるように視線を落とした。
「リキさん!」
苛立ったような巽の声に、松田は重い口を開いた。
「―――もう、済んだよ」
松田の答えをある程度予想していたのだろう。加山は、臆すことなく巽を見返しながら、松田に声を掛けた。
「まだ、済んでない。ちゃんと話を聞いてくれ」
松田は、小さくかぶりを振ると、掠れた声で呟いた。
「もう聞きたくない」
「松田!」
悲痛な加山の声が耳を打つ。だが、松田は繰り返すより他なかった。
「もう聞きたくないんだ、加山」
力なく俯く松田を背に庇うように、巽は松田と加山の間に立った。
「だとよ、加山さん。もう、帰ったほうがいい」
不遜な巽の言葉に、加山はむっとしたような表情を浮かべた。
「君には、関係ないだろう」
「あんたこそ、関係ないだろ」
「君にそんなことを言われる筋合いはない。俺は松田と話したいんだ」
「リキさんは、話したくないって言ってんだろ!」
気の短い巽が、声を荒げる。
「大体、リキさんは、俺の―――」
「タツ!止せ!」
はっとして顔を上げた松田が、巽の腕を掴んだ。
「リキさん―――」
「松田?」
訝しげに見つめてくる加山の視線を、今度は逃げることなく受け止めて、松田は口を開いた。
「加山。俺は、おまえの気持ちに応えられない―――いつか、いつかおまえの気持ちが変わって、昔に戻れたら・・・そしたら、また一緒に飲もう」
そう告げると、松田は巽に部屋に入るよう促し、静かにドアを閉じた。完全にドアが閉じきってしまうまで、縋りつくような加山の視線が松田を突き刺していた。
巽は、閉じたドアに額を押し当てて俯く松田の肩を掴むと、力任せに自分の方を振り向かせた。
「リキさん、あいつだろ?」
言いにくそうに一旦口をつぐんだ巽だったが、松田がその言葉の先を予測して巽から視線を逸らすと、嫉妬に任せて言葉を継いだ。
「あのときの、キスマーク」
ぴくりと身体を震わせた松田に、巽は激高した。
「なんで、なんであんなヤツと―――」
巽の先走った誤解に、松田はかっとして顔を上げた。
「俺を疑うのか!?」
「じゃあ、なんで、なんで痕なんか―――」
「俺は、男なら誰でもいい訳じゃない!」
松田は、巽を睨みつけると、立ち塞がる巽を押しのけるようにしてリビングへ向かおうとした。その腕を掴み、巽は、松田の細い体を壁際に押し付けた。
「じゃあ、なんであいつにドアを開けたりしたんだよ!?」
しばらく無言で巽を睨みつけていた松田が、ふと視線を落として呟いた。
「―――おまえかと思ったんだ」
「え」
戸惑う巽を、今度は睨みつけるように見つめて、松田は繰り返した。
「おまえかと思ったんだ」
松田の真意を量るように、じっと松田の眼を見つめ返していた巽が、俯きながら呟いた。
「ゴメン、リキさん。俺―――、リキさんに謝ろうと思って来たのに、あいつと一緒のところ見て、かっとなって―――」
巽は、松田の細い背中をそっと抱き寄せた。
「ほんと、ゴメン」
素直に謝る巽の肩に額をつけて、松田は震える声で呟いた。
「なんで、なんでおまえなんだろうな―――なんで」
『加山には応えられないのか』―――そう続くであろう松田の言葉を遮るように、巽は松田を抱く腕に力を込めた。
「俺のことだけ見て。他のヤツのことなんか、考えないでくれよ」
嫉妬を隠そうともしない巽の言葉に、松田はようやくくすりと笑みを零した。
「こんな我儘なヤツなのにな」


2005/05/17
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