no-dice

One-Night Stand ◆1◆


「どちらさま?」
深夜、ドアを叩く音に問い掛ける。
「――リキさん、俺・・・」
「タツ?」
スチール製のドアの向こうから、巽らしくもない遠慮がちな声が返ってきた。ドアを開けると、一体どこから歩いてきたのか、夜に入って降り出した雨に濡れそぼった巽が、俯き加減に立っていた。
「おまえ、どうしたんだ。今日は病院に泊るんじゃなかったのか?」

昨日、松田と巽は射殺した拳銃強奪犯の情婦の家を張り込んでいた。
が、張り込みにあまり向かない性分の巽は、松田が止めるのも聞かず、女が取調室に忘れたブレスレットを返しに行く、と言って女の家に上がり込んでしまった。
それだけですめば単なる勇み足で済んだのだが、折悪しく強奪犯の一味が女の家に押し込んできたのだ。射殺された男は強奪した拳銃を一人占めして隠していた。その隠し場所を聞き出すために女を拉致しに来た一味は、居合わせた巽をも人質代わりに拉致した。
異変に気づいた松田が追ったが、巽を盾にされ逃してしまった。
結局、女は逃げようとして殺されてしまったが、死に際の女から拳銃の隠し場所を教えられた巽は、それを切り札に一味を第7埠頭に連れ出し、隙を見て海に飛び込み脱出を果たした。それが拉致から丸一日経った、今日の昼間のことだ。
巽は、暴行を受けた体で、しかも縛られたまま海に飛び込んだため、怪我自体は大したことはなかったのだが、大事を取って今夜一晩は病院に泊められることになったはずだった。

巽は、松田の言葉に応えず、俯き加減に立ち尽くしたままだ。
夏の盛りのこととはいえ、雨に濡れたままでは怪我にも障る。
「とにかく入れよ」
そう言っても動こうとしない巽の腕を掴んで、中に招じ入れる。
かなりの距離を雨に濡れて歩いてきたのだろう、掴んだ腕はひんやりとしていた。
「――着替え、っても俺のじゃきついか」
巽もどちらかといえば細身だが、松田は男としては華奢といってよく、巽より一回り小柄だ。何か巽にも着られそうなものはないか、とクローゼットの中身を思い浮かべながら、松田は巽に背を向けた。
「――リキさん・・・」
低く掠れた声で名を呼ばれて振り向くと、いきなり抱きすくめられる。
「おい、タツ――!」
突然のことに驚いてあげた声は、巽の唇で遮られた。噛みつくようなくちづけに、身を捩って逃れようとしたが、きつく抱きすくめられて思うにまかせない。
ようやくの思いで巽の胸に手をついて体を押しやると、松田は短く息をついて、巽の眸を覗き込んだ。
「タツ、冗談きついぞ?」
「――リキさん、俺・・・俺は・・・」
言いさして口を噤んだ巽の射るような眼差しには、いつもと違い、どこか縋りつくような色があった。 戸惑う松田の背に回された巽の腕に力が込められる。逃れようとする松田の細い背を、折れそうなほどにきつく抱き締めて、巽は衝かれたように、貪るように松田にくちづけた。
「――リキさん・・・」
息苦しいほどのくちづけの合間に、巽は熱に浮かされたように松田の名を呼んだ。背に回された腕が、つい先刻の冷たさが嘘のように、熱い。唇から頬へ、頬から首筋へと辿る巽の唇に、松田の身体が強張る。
「タツ、ちょっと待て。――放せって!」
突き放そうとして巽の肩に手をかけた松田は、巽の身体が微かに震えていることに気づいた。
「――タツ?」
「リキさん・・・リキさん、俺、・・・」
松田の肩口に顔を埋めた巽は、掠れた声でうわごとのように松田の名を繰り返す。
抱き締めるというよりは、縋りついてくるようだ。そう気づいて、松田は身体の力を抜いた。
ふっと息を吐くと軽く笑って、巽の背をぽんぽんと軽く叩いてやる。
「どうした?――ん?」
「俺・・・怖いんだ・・・情ねぇけどよ、俺――上手く逃げられてさ、ちょろいもんだって、そう思ってたのに・・・夜になって一人になったら・・・急に、不安になって・・・すごく怖くなったんだ・・・そしたら・・・」
絞り出すように、途切れ途切れに話す巽の声は、微かに震えていた。震える息が首筋に熱い。
「――リキさんに会いたくなって・・・」
生きていると、誰でもふとそんな不安に駆られることがあるのではないか、と松田は思う。
まして刑事という仕事に就いて命を危険に晒して生きていれば、その危険が去った時、安堵とともに不安が沸き上がる。危険と向き合っている時には感じない恐怖を、独りで過ごす夜に感じることもある。そんなときは、無性に、今生きていることを確かめたくなるのだ。
もちろん、その術は人肌の温もりを求めることとは限らないけれど――。
縋りつくように松田を抱き締めたままの巽の身体をそっと押しやる。松田の温もりから引き離された巽は、日頃の向こうっ気の強さが嘘のように、頼りなげに見える。松田の頬に苦笑が浮かんだ。
どうかしている、と思った。松田を求める巽も、巽を受け入れようとしている自分も。
それでも、松田は巽を突き放す気にはなれなかった。
「とにかく、服、脱げよ。――今、タオル持ってきてやるから」
奥へと向かう松田の背を見送って、巽は立ちつくす。
程なく戻ってきた松田は、所在なげに立ち尽くしたままの巽に、呆れたように息を吐く。
「世話のやける奴だな」
手にしたタオルを巽の頭にばさりと被せると、そのままくしゃくしゃっと拭 いてやる。
しばらく、されるがままになっていた巽の手が上がり、松田の手首を捉 えた。ぱさりとタオルが落ちる。
「俺、リキさんが好きなんだ」
そう言った巽の真摯な眼差しに、
「本当に世話がやける・・・」
松田は苦笑すると、巽に唇を寄せた。一瞬触れた唇を離して囁く。
「服、脱げって言っただろ?」
松田の手が、巽のシャツにかかる。松田に促されるままにシャツを脱ぎ捨てた巽は、松田の背に腕を回すと、深くくちづけた。
――そう、こんな夜もあるさ。
松田は胸の中で呟くと、目を閉じ、巽の腕に身を委ねた。

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