「今度、飲みにでも行くかい」
簪の図案に目を落としたまま、勇次が言った。
「ん・・・」 立てた片膝の上に組んだ腕に、顎を乗せた秀が、くすぐったそうな目をした。
つと目を上げた勇次の眸に、柔らかな光が浮かぶ。
伸ばした手が柔らかな髪に触れると、びくりと秀の身体が揺れた。躊躇うように揺れた眸が、すっ、と伏せられる。
勇次は、つと眉を寄せて眸を細めた。
「おう、秀、いるかぁ」
主水の声に、二人はすっ、と身を離した。
がらりと障子戸を引き開けた主水が、勇次の姿を見て、ちらりと目を光らせた。
「なんでぇ、雁首揃えて」
すっ、と声を落とす。
「なんか、いい仕事でもあるのか」
一瞬表情を消した勇次が、商い用の愛想の良い笑顔を作った。わざと表に聞こえるように、声を張る。
「これは、八丁堀の旦那。お役目ご苦労様で」
立ち上がった勇次は、ちらりと秀を振り返った。
「じゃあ、頼んだぜ」
「ああ」
秀が、応えるように手を上げた。
勇次は、するりと主水の脇を通り抜け、長屋を出て行った。
「なんだ、あの野郎。お前ぇら、本当に抜け駆け企んでんのか」
「簪だよ」
秀は、細工台に向き直ると、槌と鏨(たがね)を取り上げた。
「簪ぃ?なんだ、またコレか」
主水が小指を立てる。
「だろ。男にやるもんじゃねぇや」
秀は、とんとん、と槌を使い始めた。
「で、お前ぇは何の用だ」
「おう、ちょいと喉が渇いてな。茶でも飲ましてもらおうと思ってよ」
一瞬、槌をふるう手が止まった。
「・・・勝手に飲めよ」
主水は、さっさと座敷に上がると刀を置いて胡座をかき、鉄瓶を取り上げた。
茶を啜りながら、ちらりと秀を見る。
「おい、ちょっと来い」
秀は顔を上げずに、とんとんと槌の音を響かせた。
「そっちの用なら、ごめんだ」
「うるせえ、とっとと来い」
主水は立ち上がり、秀の腕を掴んだ。そのまま引き摺るように、無理やり立ち上がらせる。
「何すんだよっ」
抗う秀を、畳に叩きつけるように突き倒す。
「ぎゃあぎゃあ喚くな、生娘じゃあるめぇし」
「いい加減、こんなこた、うんざりなんだっ」
半身を起こして、主水を睨みつける秀の頬を、張り飛ばす。
手加減なしに殴られ、秀の身体は畳の上に倒れ込んだ。唇の端に、血が滲む。
「いちいち、手ぇ焼かすんじゃねぇ」
そう言うと、主水は秀の腕を後ろ手に捩じ上げた。秀は、畳に顔を押しつけられ、腕の痛みに顔を歪めた。
主水は、空いた手で秀の下穿きを引きずり下ろし、下帯を解いた。
「やめろっ」
喚いて抗う秀の腕を、さらにきつく捻り上げる。そのまま物も言わずに、昂りを秀の身体に突き入れた。
「くっ」
前触れもなく身体を開かれ、引き裂かれる痛みに秀は呻いた。
容赦なく腰を打ちつけられて、秀の身体はがくがくと揺れた。
「相変わらず、締まりがいいな」
主水が、秀の身体を揺すり上げて嗤った。
ただ暴力で犯されながら、主水によって男を受け入れることに慣らされた身体は、秀の意思とは裏腹に熱を帯びていく。
「おい、そう締めつけるなよ」
敏感な場所を擦り上げられて、秀はぞくりと身を震わせた。溢れた滴りが、ぱたぱたと畳の上に落ちた。
「なんだ、もうイッちまったのか」
主水が、嗤った。
「手前ぇこそ、とっとと終わりやがれ」
秀は、頬を畳に押しつけたまま、掠れた声で毒づいた。
「口の減らねぇ奴だな」
「う・・・ぐ・・・」
ぎりぎりと更に腕を捩じ上げられ、強く突き込まれて、秀は息を詰めた。
性急に突き上げられて、秀の身体はぎしぎしと軋んだ。
最後に一度大きく腰を突き上げ、主水はぶるりと身体を震わせた。
身体の奥に、どろりとしたものが拡がる。秀は、きつく目を閉じた。
何度味わっても慣れることのない屈辱に、唇を噛む。
ふうっと大きく息を吐いた主水が、ずるりと己れを引き抜いた。掴んでいた秀の腰を放す。
捩じ上げられていた腕を解放されて、秀は畳の上に崩折れた。
主水は、刀を取り上げ、乱れた着物の裾を整えると、立ち上がった。
「邪魔したな」
言い捨てると、草履をつっかけ、長屋を出て行った。
長い間捩じ上げられていたために、ぎしぎしと痛む肩を押さえて、秀は身を起こした。手荒く扱われた身体は、どこもかしこも、軋むように痛んだ。


秀の長屋の障子戸を開けた勇次は、その場に立ち竦んだ。
「よう、色男」
着物の裾の乱れを隠そうともせず、胡座をかいた主水の向こうで、下半身を晒して、秀が畳の上に突っ伏していた。
「・・・邪魔したみてぇだな」
勇次は、秀から目を背け、踵を返そうとした。
「遠慮するこたねぇ。今、終わったとこだ」
そう言うと、主水は刀を取り、立ち上がった。さっと着物の乱れを直し、草履をつっかける。
「邪魔したな」
言い置いて、勇次の横をすり抜けるように出て行った。
秀はのろのろと身を起こし、下帯と下穿きを身につけた。
勇次は、秀から目を背けたまま、口を開いた。
「お前ぇ、八丁堀と」
「できてる訳ねぇだろ。俺は、あいつの欲求不満のはけ口なんだよ、昔っから。そんだけのことだ」
勇次の言葉を遮り、秀は吐き捨てた。
「お前ぇもやりたきゃ、遠慮するこたねぇぜ」
そう言った秀が、皮肉に顔を歪めた。
「ああ、けど、今は止めといた方がいいな。まだ、八丁堀のが残ってる」
「秀」
自暴自棄になったような秀の言葉に、勇次は眉を顰めた。
「そんな言い方はよせ」
「どんな言い方したって、同じだろ」
秀は、昏い眸で嗤った。
「薄汚ねぇ真似してることには、変わりがねぇ」
主水と秀のつきあいは長い。勇次が、おりくと共に、江戸で『仕事』を始めるずっと以前からの、『仕事』の仲間だ。
その二人の間に、どういう経緯(いきさつ)があったのか、勇次には知る由もない。
「何故」
言いなりになるのか。そう言いかけて、勇次は口を噤んだ。
秀が、口元を歪めて顔を背けた。
主水が本気になれば、一刀のもとに斬り捨てられる。それは、勇次も同じことだ。
主水が秀を捩じ伏せることなど、造作もない。
沈黙に耐えかねたように、秀が口を開いた。
「ああ、そうか」
秀は、くすりと笑った。
「お前ぇは、不自由してねぇもんな、あのおっさんと違って。俺なんかに、用はねぇよな」
くっくっと嗤った秀が、すっ、と表情を消した。
「用がねぇなら、帰ぇってくれ」
勇次は、黙って踵を返した。障子戸を開け、出て行く。
戸の閉まる音に、秀の肩がぴくりと震えた。俯いた秀の眸から、ぱたりと涙が零れ落ちた。


近づけば逃げる逃げ水のように。触れようとすれば、躊躇うように身を引く。
何故、近づこうとすればそれだけ、秀が勇次から距離を置くように離れていこうとしたのか。
ようやく、その理由が知れた。
勇次の眸に、昏い翳が差した。


主水に腕を掴まれ、座敷に引き摺り込まれた。逃れようとする足首を引っ掴まれて、引き摺り戻される。振り解こうと滅茶苦茶に動かした足を押さえつけられ、下穿きを引き抜かれた。
「やめろっ」
暴れても、もがいても、戒めは解けない。きつく足首を掴まれたまま、下帯を剥ぎ取られる。
もう一方の足首も掴まれ、そのまま、脚を大きく開かれた。腰が、高く持ち上げられる。
「・・・っ」
露わになった秘部に雄が突き込まれ、秀は息を詰めた。
きつい体勢のまま、容赦なく何度も突き入れられ、みしみしと身体が軋んだ。
それでも、男に慣れた身体は反応してしまう。露わに晒された秀自身が硬く勃ち上がり、秀は両腕で顔を覆った。
主水に顔を見られることも、主水の顔を見ることも、耐えられなかった。
主水は物も言わずに、ただ腰を動かし、最後に深々と突き入れると、ぶるりと身体を震わせた。
身体の奥に生温いものが広がるのを感じながら、秀はびくびくと身体を震わせた。白い滴りが溢れ、乱れた半纏に染みを作った。
主水が、秀の足首を放し、立ち上がった。着物の乱れを整えて、刀を取り上げる。
秀は、主水が出て行くまで、無惨に犯し尽くされた身体を力なく畳の上に投げ出していた。
抗っても抗っても、捩じ伏せられ、犯される。繰り返し味あわされる屈辱に、涙を流す気力さえ、とうの昔に失くした。
その泥沼から逃れることのできない自分に、反吐が出る。
秀は、強い自己嫌悪に苛まれながら、身を起こした。散らばった下帯と下穿きを拾い集め、身につけると、部屋の隅に蹲った。


想いに応えてもらうことを、望んでいた訳ではない。そんな資格がないことは、誰より自分自身が知っている。
ただ、側にいられればよかった。心を寄せている、それだけでよかった。
だが、もうそれもできない。
いっそ、蔑まれた方がいい。汚らわしいものを見たように、離れて行ってくれればいい。
秀は、きつく目を閉じた。


長屋の障子戸を開くと、秀が片膝を立ててうずくまっていた。膝に肘をつき、指を髪に絡ませている。
勇次の気配に気づいて、秀は昏い眸を投げた。半纏の袷が、僅かに乱れていた。
「また八丁堀か」
勇次は、形の良い眉をつと顰めた。
「女じゃあるめぇし、別にどうってことでもねぇよ」
顔を背けた秀の唇の端は切れ、青く腫れていた。
「それも、八丁堀か」
秀が、切れた唇に手の甲を当てた。
「こんなもん、いつものことだ。それこそ、どうってこたねぇ」
勇次は、ふっと息を吐いた。
秀は、ちらりと勇次を見ると、昏い眸を伏せた。
「簪なら、出来てる」
ふらりと立ち上がり、小箪笥の引き出しから木箱を取り出した。
上り框に立ち、土間に立ったままの勇次の胸に木箱を押しつける。
勇次は、思わず、その腕を掴んだ。
はっと勇次を見た秀は、次の瞬間、昏い眸で嗤った。
「そっちの用なら、夜、出直してくれ。八丁堀じゃあるめぇし、昼間っから突っ込まれちゃ敵わねぇ」
「秀」
もう、触れることさえ、許さないのか。
つと眉を顰めた勇次は、一つ息を吐いて、秀の腕を放した。
秀は顔を背け、木箱を突き出した。
「金は要らねぇ。持ってけよ」
何も答えない勇次に苛立つように、秀は声を荒げた。
「帰ぇれっ」
一つ息を呑み込んで、絞り出した声は震えていた。
「もう、帰ぇってくれ」
勇次は、目を伏せた。
「出直してくる」
秀の肩が、ぴくりと揺れた。
勇次は、踵を返し、長屋を後にした。


あれ以来、いつ顔を合わせても、秀は勇次をまともに見ようとはしなくなった。
いつも、昏い眸をしている。
あんな昏い眸を、勇次に見せたことはなかった。いつも、黒目がちの眸に柔らかな光を浮かべて、時にくすぐったそうな眸で、勇次を見ていた。
なのに。
今はもう、秀の心は、固く閉ざされてしまった。
勇次は、深く息をついた。


勇次は、茶店の表の床几にすっと腰を下ろした。よしずの中では、いつものごとく仕事を怠けた主水が、団子を食べていた。
「なんでぇ、色男」
主水は、振り向きもせず、団子の串を取り上げた。
勇次は、通りを見たまま、低く抑えた声を出した。
「八丁堀、秀をいたぶるのもたいがいにしろよ」
主水の手が止まる。
「なんでぇ、情夫(いろ)気取りか?」
勇次は、つと眉を寄せた。
「・・・俺は、あいつとは寝ちゃいねぇ」
「そりゃあ、また」
主水は、わざとらしい声をあげた。
「抱いてやりゃあ、いいじゃねぇか。あいつは、お前ぇに惚れてるぜ」
「だから、あいつをいたぶるのか」
勇次の言葉に、主水は嗤った。
「莫迦言っちゃいけねぇや。あいつは、おそろしく具合がいいんだ。お前ぇも、いっぺん抱いてみな。一発でわかるぜ」
「お前ぇも、相当な下種だな」
勇次が眉を顰め、端正な顔を歪めた。
「措きゃあがれ」
うそぶいた主水は、茶を啜った。
「それとも何か。お前ぇ、惚れたやつには手を出さねぇ口か」
「そうだと言やぁ、あいつから手を引くのかい」
勇次が、ちらりと主水を見た。
「そりゃあ、どうだかなぁ。なにしろ、あいつはおそろしく具合がいいからなぁ」
勇次は、袖に忍ばせた糸につと指を伸ばした。
「よせよせ、こんな真っ昼間っから」
主水は、刀を取り上げ、立ちあがった。
「ここ置くぜ」
床几に小銭を放り出し、茶店を出る。
「青臭ぇ真似は、よしな」
勇次の前を通り過ぎながら言い捨てると、昼行燈の顔に戻り、すたすたと歩き去った。


「本当に、出直してきたのか」
長屋の戸口に勇次の姿を認めた秀が、昏い眸で口元を歪めた。
「そうだな。お前ぇを抱きてぇと思ったことがねぇと言や、嘘になる」
勇次は、秀から目を逸らすことなく言った。
「だったら、取り澄ました顔してるこたねぇ。さっさと、やれよ」
勇次から目を逸らし、目線を床に落として、秀が吐き棄てるように言った。
勇次は何も言わず、後ろ手に障子戸を閉めた。座敷に上がり、秀の傍らに片膝をつく。
勇次が、つと、秀に顔を寄せた。
「よせ」
秀は、眉をしかめて顔を背けた。
「抱きたけりゃ、好きにしろ。けど、こんな真似はごめんだ」
勇次は、すっ、と眸を細めた。
「まるで、色街の女だな」
勇次の言葉に、かっと頬に血を上らせた秀が手を振り上げる。その手を掴み取り、勇次は秀の眸を、ひたと見つめた。
「ああいう女たちは、身体は許しても、唇だけは許さねぇ。そこだけは、惚れ合った男にだけ許すんだよ」
身を強張らせた秀の頤を摘み、唇を重ねる。秀の肩が、ぴくりと揺れた。
唇を浮かせて、低く囁く。
「ここだけは、誰にも触れさせるな」
目を瞠る秀の唇に、再び唇を重ねる 秀の腕から、力が抜けた。勇次は秀の腕を放し、柔らかな髪を掴むと、深くくちづけた。
「ふ・・・」
幾度も幾度も繰り返されるくちづけに、秀の唇から吐息が零れた。
ただくちづけだけを繰り返す勇次に、秀の眸が戸惑いに揺れた。
「勇次・・・」
勇次は、その眸をひたと見つめた。
「お前ぇを抱くつもりはない」
秀は、翳が差した眸を伏せた。
勇次はその唇に、静かに唇を重ねた。
「これだけで、いい」
唇だけ。惚れた男にだけ許す、その唇だけ。
他には、何もいらない。
勇次にきつく抱きしめられて、秀の指が勇次の袖を掴み締めた。


主水に腕を掴まれ、秀は引き摺られるように立ち上がった。
「いい加減にしろよっ」
主水の手を振り払おうと、身を捩る。
そのまま畳の上に引きずり倒されて、秀は主水を睨みつけた。
主水は、その襟を引っ掴み、秀の上半身を引き起こすと、手を振り上げた。頬を張り、返す手の甲を叩きつける。
「近頃、随分、生意気じゃねぇか」
秀の顎を強く掴んで、主水が睨めつけた。
「一度だって、手前ぇの言いなりになった覚えはねぇ」
秀は主水を睨んだまま、切れた唇に滲む血を拳で拭った。
「違ぇねぇ。お前ぇは、昔っから生意気だよなぁ。跳ねっ返りで青臭くて、いちいち手ぇ焼かせやがる」
秀は、すっ、と目を細めて、懐に手を入れた。
「よせよ、つまらねぇ真似は」
主水が、秀の腕を捩じり上げる。顔を歪めた秀の手から、簪が畳の上にぽとりと落ちた。そのまま、腕を後ろに捻り上げられて、畳の上に捩じ伏せられる。
「今さら、三味線屋に操立てか」
「あいつとは、そんなんじゃねぇ」
畳に頬を押しつけて、秀は呻くように言った。
「なんだ、まだ抱いてもらってねぇのか。可哀想になあ」
秀にのしかかったまま、主水がせせら嗤った。
「お前ぇの知ったことかよっ」
不自由な体勢のまま、首を捻り、主水を睨みつける。
心の柔らかな場所を、土足で踏み躙られたくなかった。
「抱いてもくれねぇ奴に操立てたぁ、お前ぇも随分、しおらしくなったじゃねぇか」
秀の髪を掴み、畳に顔を押しつける。
「うるせえっ。やることやって、とっとと帰ぇれっ」
主水は秀の髪を放すと、その手で秀の股間を力いっぱい握り込んだ。
「・・・っ」
瞼の裏が白く灼けるような痛みに、秀は顔を歪めた。
主水の手が、下穿きを膝まで引き摺り下ろし、下帯を解く。露わになった尻を、爪が食い込むほどに掴み締めた。昂りを、容赦なく突き入れる。
秀は声を立てず、ただ唇を噛み締めた。
その横顔を見下ろして、主水は口元を歪めた。
「けっ、興醒めだ」
捻り上げていた秀の腕を放し、主水は身を起こした。
「揃いも揃って、青臭ぇ真似しやがって」
言うと、刀を取り上げ、立ち上がる。身仕舞いを整えて、長屋を出て行った。
身を起こして、その背中を見送る秀の眸には、戸惑いが浮かんでいた。


組屋敷の門の前で、主水はふと歩みを止めた。振り向きもせず、口元を歪める。
「来たか、色男」
揶揄するような主水の声に、勇次はすっ、と目を細めた。冷たい殺気が、勇次の身体から立ち上る。
ぴん、と弦(いと)の音が漆黒の闇を切り裂いた。
主水の首を狙った弦は、だが、首を庇って挙げられた主水の左の手首に絡みついた。
にやり、と、また口元を歪めた主水が、刀の柄(つか)に触れるより早く、細い弦が鍔に絡みついた。
主水の目に、きらりと光が閃いた。
次の瞬間、主水の右手をすり抜けるように、大刀は鞘から放たれた。
僅かに洩れる灯りに、冷たい光が弧を描き、宙を舞った大刀は勇次の手に収まった。
「よせよせ。お前ぇにゃ扱えやしねぇよ」
低く響く主水の声に、勇次は冷たく眸を煌めかせた。
「できるかどうか、試してみるかい」
勇次が言うと同時に、再び宙に銀の弧を描いて、大刀は闇を切り裂いた。
「おっと」
ずい、と引いた主水の右足の先に、大刀が突き立つ。
主水は、ゆっくりと身を屈めて、大刀の柄を握った。
「ったく、ガキの色恋にゃ、付き合いきれねぇや」
ぼやくと、刀を地面から引き抜き、鞘に収めた。
勇次は、その身に殺気をまとわりつかせたまま、黙って主水の動きを見つめていた。
「帰ぇれ帰ぇれ。遊びは終ぇだ」
主水は、勇次に背を向けて、ひらひらと手を振った。
「もう、あいつにゃ、手ェ出しゃしねぇよ」
ぎぎぃ、と殊更に扉を軋ませて門を開く。
勇次は、門を潜り抜けていく主水の背中を睨めつけていた。
また、ぎぎぃ、と軋む音がして、煤けた門扉に丸めた主水の背中が消えた。
勇次の身体から立ち上っていた殺気が、すぅっと消える。
一つ瞬きをした勇次の姿が、するりと闇の中へ溶けた。


見廻りと称して、ぶらぶらと歩いていた主水は、茶店の店先で緋毛氈に掛けてぜんざいを食べる秀と勇次の姿を認め、面白そうに目を細めた。
「なんでぇ、野郎二人でぜんざいか」
主水は、そう声をかけながら、秀の隣に腰を下ろした。
「俺にも奢ってくれよ」
主水をちらりと見た秀が、嫌そうな顔をして、僅かに腰をずらした。
勇次は、眉をひそめて主水を睨みつけた。
「そう睨むなよ、色男」
勇次を見やってにやにやと笑った主水は、秀の傍らの湯呑みを取り上げ、音を立てて茶を啜った。
「もう、こいつにゃ、ちょっかいかけちゃいねぇよ」
主水のとぼけた顔を暫し睨めつけていた勇次が、ちらりと秀を見た。
秀は、勇次の目を見て、小さく頷いた。
もう一度主水を睨めつけて、勇次は懐から紙入れを取り出した。
「ここ置くよ」
店の奥の小女に声をかけて、二人分の代金を緋毛氈の上に置くと、秀を目顔で促して立ち上がった。
「それじゃ、旦那、ごゆっくり」
勇次は、そつのない『表の顔』で笑みを浮かべると、軽く頭を下げて見せた。
そのまま歩き出す勇次を追うように、秀が立ち上がった。
肩を並べて歩み去る秀と勇次の背を見送って、主水は、カリカリと首筋を掻いた。
「やっぱり、ガキの色恋にゃ、付き合いきれねぇや」
[終]



2016.03.05



[Story]