no-dice

Regret
〜One-Night Stand U〜


月の明るい夜。松田と桐生は、桐生のなじみの店で遅い夕食を摂りながら酒を飲んだ。
上機嫌に酔った桐生が、ステップでも踏むような軽やかな足取りで、川沿いの道を歩いていく。
「ねえ、リキさん」
桐生が、歌うように松田の名を呼んだ。
「俺、好きな人がいるんですよね」
「何だよ、いきなり」
突然の告白に、松田は目をしばたたかせた。
「でも、その人、好きな人がいるみたいなんです」
桐生は、松田の戸惑いを気にも留めず続けた。
「そりゃ、大変だな」
好きになった人には、好きな相手がいる。
そんなことの一つや二つ、松田にも身に覚えがあった。
「でね。どうしたらいいと思います?」
桐生は畳み掛けるように訊いてくる。
「そりゃ、お前さん次第だろ」
松田は無難な答えを返した。 どうしたらいいも、こうしたらいいも、色恋沙汰に正解のあるはずもなかった。
「俺もねー、その人が幸せなら、ここで身を引くんだけど・・・」
ふと口をつぐんだ桐生に、松田は先を促した。
「だけど?」
「―――その人、あんまり幸せそうじゃないから」
片想いの相手も、切ない片想いをしているのか。それもまた、よくある話だと松田は思った。
「リキさんなら、こんなとき、どうします?」
改めて問われて、松田はしばらく答えに窮した。いろいろと思いを巡らせてから、ゆっくりと口を開く。
「・・・そうだな。俺なら、相手を振り向かせるかな。自分が絶対幸せにしてやるって」
一つ瞬きをした桐生が、我が意を得たり、というようにきらりと目を輝かせた。
「やっぱりそうですよね」
いったん言葉を切った桐生が、松田を正面から見据えた。
「リキさん、俺が幸せにしてあげますから」
思いもよらぬ桐生の言葉に、松田は面食らって瞬きを繰り返した。
「俺に言ってどうすんだよ」
「だから、俺がリキさんを幸せにしてみせます」
「だから、俺に言ってもしょうがねぇだろ」
「だから、俺が好きなのはリキさんなんですってば」
核心に触れる桐生の言葉に、松田は今度こそ、心底面食らって口をつぐんだ。
「リキさんに、他に好きな人がいるの知ってます。その人が誰なのかも・・・。でも、その人より俺の方がリキさんを幸せにできるから―――だから俺とつきあってください」
言葉をなくした松田の胸に、桐生の告白が棘のように突き刺さった。
桐生は、松田の恋の相手が誰だか知っていると言う。だが、そんなことがあるだろうか―――。松田は複雑な思いで、皮肉まじりの答えを返した。
「お前さんが、俺を幸せにしてくれるって?いったい誰より幸せにしてくれるって言うんだ?」
「だから、それは―――」
松田の問いに答えようとする桐生の機先を制するように、言葉をつなぐ。
「冗談も、ここまでくると悪趣味だぞ」
笑って話を終わらせようとした松田に、桐生は真っ直ぐに思いをぶつけてくる。
「冗談なんかじゃありません。俺、見てるの辛いんです。リキさんが・・・リキさんが団長のことずっと見つめてるの」
思いもかけぬ桐生の言葉に、松田は発作的に笑い出してしまった。
「何言ってんだ、リュウ。俺が団長を好きだって?どこからそんな誤解が生まれるんだ?」
「違うんですか?」
急に笑い出した松田に面食らったように、桐生がおずおずと問うた。
「当たり前だろ。人騒がせなやつだな」
「じゃあ」
と、桐生は目を輝かせた。
「じゃあ、俺とつきあってくださいよ」
またそこへ話が戻るのかと、松田はちょっと不機嫌そうな顔をしてみせた。
「なんで、そうなるんだ?」
「だって、団長のこと何とも思ってないんでしょ?だったら俺とつきあってくださいよ」
「冗談も大概にしろよ」
けんもほろろな松田の言葉に、桐生は食い下がった。
「冗談なんかじゃありません。俺は、本気でリキさんのことが好きなんです」
いつもの軽い桐生ではなく、真剣なまなざしで松田を見つめてくる。
ふいに、松田の胸の奥の古い傷が、きりきりと痛みだした。
『あいつも同じ眼をしてた―――』
あのときも、松田はすべてを冗談ですませようとした。そうすることが、何より相手のためだと思っていた。
そう、あの日、突然の別離がやってくるまで。
真実から眼を背け続けた報いだと思った。自分の胸の奥にしまい込んだ想いに蓋をして眼を閉ざした松田への、罰。
だから―――。
「俺は、だめなんだ」
松田は苦い思いで、絞り出すように告げた。
「・・・俺が男だからですか?」
桐生が静かに問うた。
「そうだ」
当たり前の、ごく当たり前の反応。
『男だから』
あのときも、松田はそう言ったのだ。そう言うほかなかったのだ。
だが。
「そんなこと、何の関係があるって言うんですか?」
桐生らしくもない、切りつけるようなまなざしが、松田には酷く痛かった。
「男だからとか、女だからとか、そういうことじゃなく、俺は真剣にリキさんのことを愛してるんです」
懐かしい面影。ぎらついたまなざし。真剣な言葉―――。
何もかもが、あのときのようで。
松田の胸の傷は、ぱっくりと口を開け、生暖かい血を流し始めた。
今度こそ、今度こそ過ちは繰り返さない。真剣なまなざしには、嘘のない答えがふさわしい。
だから。
「他に好きなやつがいるんだ」
松田の突然の告白に、桐生はきょとんとした眼で口を開いた。
「だって、さっき団長のことは何とも思ってないって―――」
「団長じゃない」
「じゃあ―――」
言葉を切った桐生は、意を決したように言葉を継いだ。
「その人に、ちゃんと好きだって言ったんですか?」
桐生の言葉は、松田の傷に真っ直ぐに突き刺さった。
「いや」
松田は、苦しげに短く答えた。
「俺なら好きな人を振り向かせるって言ったの、リキさんですよ」
桐生が、包み込むようなまなざしで語りかける。
「いつも哀しそうな眼をしてるくらいなら、ちゃんと決着をつけた方がいいです」
桐生の言葉は、正しかった。
そのことは、誰より松田自身が知っている。
だが。
「もう、遅いんだ」
苦い真実。
「もう誰も、あいつを振り向かせられない」
「その人、他の人のものなんですか?」
松田は、力なく頭を振った。
「あいつは、もう誰のものにもならない」
その言葉の意味を、桐生は、松田への真っ直ぐな思いから、正確に読み取った。
「―――亡くなったんですね」
「ああ」
松田は、桐生にはすべてを話すべきだと思った。そうすることが、真剣に自分に思いを寄せてくれた桐生への礼儀だと思った。
「あいつも、お前と同じだったよ」
「え?」
松田の言葉の意味を捉え損ねて、桐生は怪訝な顔をした。
「真っ直ぐに俺のこと見据えて、俺を好きだと言った」
「どうして、どうしてそのときちゃんと言わなかったんですか?好きだって」
桐生の疑問に、松田は一つ大きく息を吸って、答えを出した。
「男だったからだ」
「え」
驚いたような眼をする桐生を真っ直ぐに見返して、松田は言葉を継いだ。
「あいつが男で、俺も男で。だから俺は、あいつの想いに応えなかった。そうすることがあいつのためだと思ってた」
「そんな―――そんなこと、関係ないじゃないですか」
「あいつもそう言ったよ。だけど、俺は―――」
松田は、ふと、自分の中の真実を見据えた。
「怖かったんだ、あいつの真っ直ぐな想いが」
いつか終わってしまうかもしれない、恋が。
「怖かったんだよ」
「後悔、してるんですね」
桐生の声は、驚くほどに穏やかだった。
「今でも好きなんですか?」
「ああ」
松田は静かに、だがはっきりと応えた。
「今でも、愛してるよ」
「そうですか」
桐生も静かに応えた。
「俺も、ずっとリキさんのこと、好きだと思います」
「リュウ」
「俺も、ずっと愛してますから」
きっぱりと告げると、桐生はにっこりと笑って頭を下げた。
「おやすみなさい」
踵を返して歩み去っていく桐生の背中を見送って、松田は明るすぎる月を見上げて溜め息をついた。
「タツ―――これでよかったのか?」
返ってくるはずのない答えを待って、松田は一人佇んでいた。


[END]


2005.3.9

[Story]