no-dice

Sweet Kiss


巽は、誰も居なくなった刑事部屋で、一心不乱に始末書を書いていた。溜めに溜めた始末書の提出期限は、明日朝九時。いつもの宿直なら松田を引き止めて、退屈しのぎをするのだが、今日はさすがにそれも躊躇われた。大門のいつも以上に厳しい目が痛かったのだ。
とはいえ、デスクワークが大の苦手な巽のこと。始末書に書く文句に詰まって、広げた赤罫の上に突っ伏してしまった。松田を引き止めて、いい文句を考えてもらえばよかったと思ったが、後悔先に立たず。今更呼び出して、のこのこと手伝いに来てくれる相手ではない。
切羽詰った巽が途方に暮れて頭を抱えていると、いきなり刑事部屋の灯りが落ちた。
ぎょっとして身を起こした巽の首筋に、ひやりと冷たいものが触れた。
「おわっ!」
慌てて立ち上がろうとした巽は、焦りの余り、足をもつれさせ、椅子ごと床に倒れこんでしまった。
「イテテテ―――」
途端に、窓の明かりで薄暗い頭上から、くつくつと笑い声が降ってきた。
次の瞬間、部屋の灯りがつくと、眩しい天井の明かりをバックに、松田が身を折って笑いながら、巽を見下ろしていた。
「リ、リキさん―――!」
慌てて立ち上がろうとした巽だが、ひっくり返った椅子に絡まって、じたばたするばかり。余計に気が焦っているところに、松田がすっと手を差し伸べてきた。
一瞬、その手に縋ることを躊躇った巽だが、不承不承その手を掴んで、助け起こしてもらった。
「何だよ、リキさん!」
無様なところを見られた恥ずかしさから、ついぶっきらぼうな声になる。
「差し入れだよ、差し入れ」
松田はニヤニヤしながら、小さな紙袋を掲げて見せた。
「アイス。お前好きだろ?」
さては、さっき首筋に触れた冷たいものの正体は、そのアイスの包みらしい。
巽は、内心ほっと息をついた。
「タ〜ツ〜」
内心ほっとしたのも束の間、松田がニヤニヤと顔を覗き込んでくる。
「幽霊でも見たような顔してるぜ」
「な、何言ってんだよ」
「派手にすっ転んだしな」
「ちょ、ちょっと驚いただけだろ!?」
「ま、そういうことにしといてやるか」
松田はくつくつと笑いながらそういうと、紙袋の中からアイスを取り出し、巽に差し出した。
「どうせ、始末書書けてないんだろ?これでも食って気分変えろよ」
だが、巽は、素直には礼を言えなかった。
そもそも今日の宿直に松田を引き止めなかったのは、大門の目が痛かったからばかりではない。
足を挫いた松田を部屋に送った夜、真剣に松田を求めた巽に対して、松田は、いとも簡単に「アイシテルよ」と言ってのけたのだ。何度となく繰り返した巽の告白を、なんだかんだとはぐらかしてばかりいる松田のとどめの一言。さすがの巽も、それ以上松田を求めることができなかった。
以来、巽は松田と距離を置いていた。今までのように宿直に付き合うこともせず、できるだけ目も合わせないようにしていた。
大好物のアイスを差し出されても、手を出そうともしない巽に、松田が苦笑を漏らした。
「いい加減機嫌直せよ―――この前は悪かったって」
巽は黙ったまま、アイスを受け取ると、どすんとソファに腰掛けて、カップの蓋を取った。
「ほら、スプーン」
差し出されたスプーンを手に取り、意地になったようにアイスに突きたてる。
不貞腐れたような巽を見て、松田は溜息をつくと、巽のデスクの端に腰を引っ掛けて、自分もアイスのカップを取り上げた。
二人して黙りこくったまま、アイスを平らげると、巽は所在無げに空のカップを弄び始めた。
「あのさ―――」
「タツ―――」
期せずして同時に声を発した二人は、思わず顔を見合わせた。
「何だよ?」
松田の言葉に、巽はぷいっと顔を背けた。
「リキさんこそ」
子供じみた巽のしぐさに、松田は苦笑を漏らして口を開いた。
「こっち向けよ、タツ」
意地になって松田の方を見ようとしない巽の肩に手を置くと、巽がぴくりと身動ぎをした。
背けられた巽の顔を覗き込むようにして、松田は、巽の唇に唇を寄せた。
「リキさ―――」
松田は、驚いたように口を開きかけた巽の唇の間に舌を滑り込ませた。
絡み付いてきた松田の舌は、食べたばかりのアイスのせいで、ひんやりと甘かった。
巽は思わず、松田の舌に舌を絡めて、きつく吸った。久しぶりに味わう松田の舌は、アイスのせい以上にひどく甘かった。巽は夢中になって、松田の甘い舌を味わった。アイスの甘さの残る唇をきつく吸い上げ、滑り込ませた舌で口蓋を舐めあげる。
巽は、松田の背に腕を回し抱き寄せると、細い体をソファの上に押さえ込んだ。アイスの残りを嘗め尽くすように、唇に口腔に舌を這わせる。
「リキさん―――」
松田の甘い唇を味わい尽くした巽の唇が、するりと細い首筋に滑り降りた。
途端に、松田が腕を突っ張り、巽の体を押しのけた。
「何だよ、リキさん」
「始末書」
悪戯っぽく笑った松田は、するりと巽の体の下から抜け出すと、身づくろいを整えた。
「どうせ、全然書けてないんだろ?手伝ってやるよ」
松田のありがたい申し出を、巽は泣く泣く受け入れた。

[END]


初出:『裏西部』

2015.03.23再掲

[Story]