no-dice

From Your Valentine


メシ食ってこうぜ」
いつもの巽の誘いに乗って、松田は巽と肩を並べて署の正面階段を降りていた。
「巽さん!」
あと少しで階段を降りきる、というところで、背後から若い女性の声が巽の名を呼んだ。振り返ると、交通課の若い婦警が二人、階段を小走りに駆け下りてくるところだった。
「あの―――これ、巽さんに」
少し小柄で大きな眼をした婦警が、軽く息を弾ませながら、ピンクのラッピングを施した包みを差し出した。
2月14日―――この日ばかりは、日頃内気な女性たちも大胆になる。
「貰ってやってください。この子、本気なんです」
背の高いほうの婦警が、真剣な面持ちで巽を見上げた。包みを差し出した婦警のほうは、耳まで赤く染めている。
「貰ってやれよ、タツ」
勇気を振り絞って巽の前に立ったのだろう彼女の気持ちを慮って、松田は巽の肩を叩いた。
「リキさん?」
「邪魔者は消えてやるから」
にやりと笑って見せると、巽が露骨に不満げな顔をするのにも構わず、松田は踵を返して残りの階段を降りた。そのまま、振り向きもせず、パトカーの間をすり抜けていく。署の駐車場を出るあたりで、ちょっと歩みを止め振り向いてみると、困ったように立ち尽くす巽の背中が見えた。小さく笑みを零した松田は、再び踵を返して独り歩き出した。

「俺、好きな人がいるから」
必死の面持ちで見つめてくる婦警たちを前に、巽は、困ったように頭を掻いた。
「だから、悪いけど、これ受け取れねぇ」
困ったように、だがきっぱりと断る巽の言葉に、小柄な婦警の大きな瞳に見る見るうちに涙が浮かんだ。ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。
「ごめんなさい!」
ぎゅっと眼をつぶってそれだけ言うと、小柄な婦警は踵を返して階段を駆け上がっていった。
「巽さん、ひどい!」
理不尽な言葉を投げつけた背の高い婦警が、友人の後を追って階段を駆け上がった。
正直、彼女たちの気持ちが分からないわけでもなかった。恋をするということがどういうことか、痛いほどに知っている巽だった。
だが、だからこそきっぱりと断らざるを得なかった。所詮望みのない恋ならば、変な期待を持たせるほうが残酷というものだ。
なのに。
『貰ってやれよ、タツ』
松田の言葉が、キリキリと巽の胸に突き刺さった。
巽の気持ちを知りながら、どうしてそんな残酷なことが言えるのか。結局は、それが松田の本心なのか。
『泣きたいのはこっちのほうだよ』
追いかけて追いかけて、ようやく手に入れたと思った松田の心が、掌から零れ落ちたような気がした。
だが、それで諦められる恋ではない。
巽は、踵を返すと、松田の後を追って走った。
「リキさん!」
一つ角を曲がったところで、少し先を歩いていく華奢な後姿に追いついた。
驚いたように振り向く松田の腕を掴み、引き寄せる。
「さっきの、どういう意味だよ!?」
噛みつくような巽の剣幕に、目をしばたたかせた松田が、戸惑ったような声で応えた。
「どういう意味って―――」
「なんで、『貰ってやれ』なんて言えるんだよっ」
そんなことか、と松田は小さく苦笑を漏らした。
「いいじゃねぇか、貰ってやりゃ。あんなに一生懸命なんだからさ」
婦警の必死な面持ちが、松田の脳裡をよぎる。キリキリと胸が締めつけられるような気がした。自分の存在が、巽の人生を歪ませている。巽には、彼女のほうが相応しい。
だから。
『邪魔者は消えてやるから』
そう言ったのに。
「それが分からないって言ってんだよっ!俺の気持ちはどうでもいいのかよ!?俺が、リキさんを好きなの知ってて、それでも『貰ってやれ』って言うのかよっ」
一方的に責め立てて来る巽の剣幕に、松田は苛立ちを覚え、眉を寄せた。
「野郎と付き合うより、女と付き合うほうがまともだろ」
「―――それが、リキさんの本音かよ!」
巽の顔が、ひどく傷ついたように大きく歪んだ。
「だったら、なんだってんだよ?」
売り言葉に、買い言葉だった。本音はそこにはないのに、口が勝手に言葉を紡ぎ出す。
「別れた方が、お互いのためだろ!」
決定的な松田の言葉に、巽の表情が凍りついた。
「―――分かったよ。“邪魔者”は消えてやるよ」
吐き捨てるようにそう言うと、巽は松田に背を向けた。二度と振り向くことなく、歩み去る。
『これでよかったんだ』
遠ざかる巽の背中を見送り、松田はゆっくりと踵を返した。

苦い想いを抱え込んだまま、マンションに帰りついた松田が郵便受けを開けると、一通の封筒が入っていた。差出人の名前はない。だが、表書きの文字には、見覚えがあった。真っ直ぐな性格が滲み出る、右肩上がりの少し癖の強い文字は、見慣れた巽の文字に間違いなかった。昨日の消印が押してある。
『タツから、手紙?』
先刻、苦い別れをしてきたばかりの巽からの手紙に、松田は戸惑いを覚えた。毎日職場で顔を合わせるばかりでなく、会いたいとなれば、夜中にハーレーを駆って松田の部屋まで押しかけて来ていた巽が、改まって手紙をよこしていたというのが腑に落ちなかった。
見慣れた癖の強い文字を眺めながら、階段を上り、部屋の鍵を開ける。松田は、閉じたドアに凭れて、長い間封筒を見つめていた。
もう、終わったことだから―――。
そう自分に言い聞かせながら、震える手で手紙の封を切った。
シンプルな封筒の中には、それに似合いのシンプルなカードが一枚収まっていた。

《I love you. I love you more than everything, much more than everything, forever. From your Valentine》

気恥ずかしくなるほど率直な巽のメッセージに、松田は巽の教えてくれたバレンタイン・デーの由来を思い出した。
結婚が禁じられていたころのローマ帝国で、密かに結婚式を挙げさせていたキリスト教の司祭バレンタイン。その罪で投獄された牢の、看守の娘の眼を治した奇跡。処刑される直前に彼女に送った手紙には、《From your Valentine》の署名。その命日にちなんで、2月14日、若い男性が好きな女性に愛を綴った手紙を送るようになったこと。手紙の最後には、《From your Valentine》。そして、その返事には―――。
松田の脳裡に、欧米の伝統的なバレンタインの風習を、照れながら語った巽の顔が甦った。
松田は、こみあげてくる苦い後悔に衝き動かされるまま、カードを握り締めてドアを開いた。階段を駆け下り、巽のアパートへ向かって走り出す。
二人で歩くときには、いっそ短く思える巽のアパートへの道が、今はもどかしいほどに遠く感じられた。一刻も早く巽に会いたかった。どうしようもなく、巽の温もりに触れたかった。松田は、白い息を吐きながら、凍える街をひた走った。
「タツ!―――タツ!タツ!」
巽の部屋の前に辿りついた松田は、息を切らしたまま、ドアを叩きながら巽の名を呼んだ。鍵の外れる音を聞くのももどかしく、思い切りドアを開く。
松田は、驚いた様子で立ち尽くす巽の襟元を掴み、有無を言わさず引き寄せた。その勢いのまま、唇を重ねる。咄嗟のことに眼を見開いたままの巽の耳元に口を寄せ、囁いた。
「Be my Valentine」
巽の腕が、松田の細い背中を折れんばかりに抱き締めた。仰のけた松田の唇に、噛みつくようにくちづける。松田の舌が、もどかしげに巽の歯列を割り、巽の舌に絡みついた。
貪りあうような長いくちづけの後、巽は松田の肩に顔を埋めた。
「このままダメになるかと思った」
巽の震える声に、松田の胸が締めつけられたように痛んだ。巽の両頬にそっと手を添えて、巽の眸を覗き込む。
「後悔するなよ」
「するわけないだろ」
引き寄せられるように唇を重ね、巽は、松田を抱く腕にいっそう力を込めた。
「愛してる」
巽の囁きに、松田は蕩けるような笑みを浮かべた。
たとえ、これが過ちであったとしても。後悔はしない。永遠に―――。

「リキさん―――」
巽が熱い息を吐いた。松田の濡れた唇を唇で塞ぎ、熱を持ち始めた巽自身を松田自身に擦りつける。
巽は、もどかしげに松田のセーターを中のシャツごとたくし上げ、手を滑り込ませた。わき腹をそろりと撫で上げ、細い項に唇を這わせる。
「タツ―――待て、ここじゃ・・・」
甘い吐息を漏らしながら、松田が身を捩った。
鍵がかかっていないどころか、ドアは完全に閉まってさえいない。いつ、誰に開かれるとも分からない。
それを思うと、なおさら巽の欲情は煽り立てられた。
「待てない」
巽が、松田の耳朶を甘く噛んで囁いた。ぞくりとする快感が、松田の背を駆け上がる。松田は、かくりとくずおれそうになる膝をようやくの思いで踏みしめた。
巽の手が、手早くファスナーを引き下ろし、芯を持ち始めている松田自身を引きずり出した。ゆっくりと律動的に動く長い指が、松田の熱を煽り立てる。
松田に触れているだけなのに、松田の太腿に押しつけられた巽自身は硬さを増していく。それを感じるだけで、松田の体の奥に熱い火が点り、灼けつくように疼き始めた。
屈みこんだ巽が、勃ちあがりはじめた松田自身にそろりと舌を這わせた。形をなぞるように舌を動かし、ゆっくりと咥えこむ。熱い粘膜に包まれて、松田はがくがくと体を震わせた。巽は、気に入りの菓子を与えられた子供のように、松田の熱を丹念に舐った。
爆発寸前になってびくびくと震える松田自身から、濡れた音を立てて巽が唇を離した。立ち上がって、松田の細い背中をかき抱く。
「リキさん―――」
巽はもどかしげにファスナーを引き下ろすと、己の熱い昂ぶりを引きずり出した。松田のジーンズを足首まで引き下ろし、狭い入り口を押し開くようにして一息に松田を貫き通す。そのまま、ゆっくりと突き上げるように腰を動かすと、松田の口から悲鳴のような嬌声が漏れた。
「あ―――あああぁっ」
いつ開くかもしれないドアを背に、松田は、巽の与える灼けつくような快楽の海に溺れた。コートすら脱がないままの行為は却って欲情を煽り、巽も松田もいつも以上の快楽を貪っていた。
律動的な巽の動きにあわせて、松田がゆっくりと腰を揺らめかせる。突き上げられるたびに、松田は巽自身を甘く締めつけた。
「くぅ―――ん」
がくがくと体を震わせて巽が自身を解放すると、同時に精を放った松田が、巽の腕の中にかくりとくずおれた。巽の胸に凭れるようにして、甘い吐息を漏らす。松田は、眸を閉じて、体の奥の埋火のような快楽の余韻に身を任せた。
「リキさん、すっげぇ感じたでしょ」
巽が甘えた声で、松田の耳元に囁いた。
「ばっ―――」
さっと頬を染めた松田が巽の胸から身を離そうとするところを、巽が膝を掬い上げるようにして細い体を抱き上げた。
「続きは、ベッドでしてあげる―――」

狭い六畳間に置かれたベッドに松田の体をそっと下ろすと、ついばむようなくちづけを繰り返しながら、巽は殊更ゆっくりと松田の服を一枚一枚剥ぎ取っていった。
松田の細い腕が巽の首に切なげに絡みつき、巽の頭を抱え込むように抱き寄せた。甘い吐息に濡れた唇が、巽の額にくちづける。しなやかな指が、巽の髪を優しく撫でた。
「リキさん―――」
一糸まとわぬ姿になった松田のからだの隅々に、くちづけの雨を降らせる。巽の唇が触れるたびに、松田の唇から甘い吐息が漏れた。細い指が、愛しげに巽の髪に絡みつく。
するりと耳の後ろを撫で上げられて、巽の背中を甘い痺れが駆け上がった。体の中心に御しがたい熱が沸き起こる。
しなやかに絡みつく松田の腕に誘われて、巽は、松田の濡れた唇に唇を重ねた。待ちかねたように、松田の舌が巽の口腔に滑り込む。ねっとりと絡みつくようなくちづけを繰り返しながら、巽は松田の体をゆっくりと撫で回した。
薄い胸を柔らかく揉みしだき、小さな突起を掌で転がすように撫で上げる。硬くしこった突起を指で摘むと、松田のからだがぴくりと震えた。
硬さを増した巽自身を松田の下肢に擦りつけると、松田が誘うように脚を開いた。細い腰をかき抱き、ゆっくりと身を沈める。
「はぁ―――っん」
しなるように反り返った松田の華奢な背中を抱き留めて、より深く貫き通す。のけぞった喉元に唇を這わせ、滑らかな肌に赤い徴を散らしていく。
巽の背中に縋りつくように腕を回した松田が、巽の肩に軽く歯を立てた。肌に触れる熱い吐息に、巽の欲情が掻き立てられた。ゆっくりと曳き抜き、一息に突き立てる。繰り返される巽の動きにあわせて、松田の細い体ががくがくと揺れた。
「タ―――ツ」
甘く巽の名を呼ぶ唇にくちづけて、巽は松田の体内に精を漏らした。同時に、張り詰めていた松田自身から白い愛液が溢れて、巽の下腹部を濡らした。

互いの背に腕を回し、荒い息をつきながら、ついばむようなくちづけを繰り返す。松田は、甘い余韻に浸るようにして眼を閉じた。
―――ググーッ。
時と場合を弁えず、突然主張を始めた巽の胃袋に、松田は思わずぷっと吹き出した。
「おまえは、ほんとに分かりやすいね」
「なんだよ」
耳まで赤く染めた巽が口を尖らせる。
「すっきりしたら、食い気かよ」
くつくつと肩を震わせて笑う松田に、巽はちぇっと舌打ちをした。
「どうせ俺はガキだよ」
松田が、くすくすと笑いながら、巽の首に腕を絡ませ引き寄せる。巽の額に唇を触れたまま囁いた。
「そこがいいんだろ」
「リキさんは、ホント、大人だよな」
拗ねたように呟いた巽が、松田の背中をきゅっと抱き締める。
「なあ、メシ食いに行こうぜ」
「イヤだね」
「なんでだよ」
巽の肩に仔猫のように頬をこすりつけて、松田が甘く囁いた。
「今はおまえと離れたくない」
日頃聞く事のない松田の睦言に、巽はどぎまぎと頬を染めた。
「からかってんのかよ」
「からかってなんかないさ」
松田のしなやかな指が、巽の髪を優しく撫でる。
「リキさん、ズルイよ」
泣き笑いのように顔を歪めた巽が、松田の肩口に顔を埋めた。
―――ググーッ。
そのままなおざりにされそうになった巽の胃袋が、再び主張の声を上げた。
我慢しきれずに、松田は、またくつくつと肩を震わせて笑った。
「まさに餓鬼だな。色気より食い気かよ」
「悪かったな」
拗ねたように口を尖らせた巽は、松田の髪に名残惜しげにくちづけると、絡みつく松田の腕を解いて起き上がった。
「俺よりメシ?」
くすくす笑いながら見上げてくる松田に、
「メシ!」
と仏頂面で答えると、狭いキッチンに向かう。
なにやらごそごそと冷蔵庫を漁る巽の気配を感じながら、松田は巽の匂いのするベッドに潜り込んで眼を閉じた。

とろとろと幸せに眠りかけていた松田を、巽が揺すり起こした。
「リキさん、メシ」
とろりと眠たげな眼を開いた松田が、巽の首に腕を絡ませ引き寄せた。誘うように薄く開いた松田の唇に、そそられた欲情をぐっとこらえて、巽は松田をベッドから引き摺り出し、抱き上げた。
「メシが冷めちまうだろ」
くすくすと楽しげに笑う松田を、申し訳程度のテーブルセットの椅子に下ろす。テーブルの上では、ありあわせのもので拵えたチャーハンがほかほかと湯気を上げていた。
「おまえにメシが作れるとは思わなかったよ」
感心したように言う松田に、向かいの椅子に座った巽が、不満げに頬を膨らませた。
「リキさんに比べりゃ、誰だってまともなメシが作れるさ」
「どうせ、俺は不器用だよ」
何事も器用にこなす松田だが、誰にも不得手なものがあるもので、料理だけはどうにも苦手だ。
「ん、うまい」
松田の素直な褒め言葉に、巽は照れ臭そうに笑って、自分もチャーハンをぱくついた。
いつものように他愛のない話をしながら食事をしていると、先刻の別れがまるで嘘のように思えた。だが、たったあれだけのことで壊れそうになるほど、二人の関係が危ういものであることを思うと、松田の笑顔を前にしていても、巽の胸にはどす黒い不安が沸き起こった。今が幸せであればあるだけ、それを失った時、自分がどうなるかわからない。胸をよぎる痛みに、巽はふと口をつぐんだ。
黙り込んだ巽の眸を覗き込んだ松田が、巽の首に腕を絡ませ抱き寄せた。額と額を触れ合わせて囁く。
「そんな顔するなよ。もう、別れようなんて言わないから」
「リキさん?」
内心を見透かされて、驚いたような眼で見つめ返す巽に、優しく笑いかける。
「おまえの考えてることぐらい分かるさ」
松田は、今にも泣き出しそうに顔を歪めた巽の唇に、そっとくちづけた。
「愛してるよ」

[END]

2005.02.23
[Story]