触れもせで 〜続・唇〜 《四》


昨日おとといあたりから、木枯らしが吹き始めた。
いよいよ冬が始まる。
次の亥の日には、炉開きだ。
火鉢や炬燵を使い始めるのは、町方では亥の月の二度目の亥の日と決まっている。
秀は、今年は炬燵を用意しようか、と悩んでいた。
毎年、今年はどうしようかと考えては、結局火鉢だけで過ごしてきた。
どうせ一人なのだし、火鉢で十分だと思ったからだ。
今年は。
長い冬の間には、勇次も幾度かは訪ねてくるだろうし、共に過ごす時間も増えるだろうと思うと、自分の長屋はいかにも寒々しく思えてくる。


次の亥の日に、秀は、損料屋で借りてきた小さな炬燵を座敷に据えた。
「いるかい」
からりと表の腰高障子が開いて、勇次が入ってきた。
「炬燵か」
「ああ」
秀は、色の褪せた炬燵布団をめくり、たどんを入れて火をつけた火鉢を中に入れた。
「だいぶ冷え込んできたし、亥の日だしよ」
「ありがてぇ」
座敷に上がってきた勇次が、炬燵の中に足を入れる。
「外を歩いてきたから、すっかり体が冷えちまってな」
本当にありがたそうに炬燵にあたっている勇次を見て、秀は、やはり炬燵を用意してよかった、と思った。
「どうした」
嬉しげに自分を見ている秀に気づいて、勇次が、怪訝な顔をした。
「何でもねぇ」
秀は、慌てて目を逸らした。
と、勇次が炬燵の上に置いた包みが目に入る。
「なんだ、これ」
「亥の子餅だよ」
亥の月亥の日と言えば、亥の子餅だが、亥の子餅は、猪の子沢山にあやかり子孫繁栄を願う菓子だ。
男同士、惚れたのなんのと言っている自分たちには不似合いな気がして、秀の顔には微妙な表情が浮かんでしまった。
秀の表情に、勇次が気づかないはずもない。
「妙な顔して何考えてんだ」
「何でもねぇよ」
勇次は、ふっと笑みを浮かべた。
「下らねぇことを考えるんじゃねぇよ」
「え」
「亥の子餅は、元々無病息災を願うもんだろ」
見透かされていたことに、秀はさっと?を赤らめた。
と同時に、その頬の赤みには、勇次の想いに触れた嬉しさも含まれていた。
勇次が包みを開くと、焼きごてで三本の筋を入れて瓜坊に見立てた餅が、ちんまりと並んでいた。
「ほら」
勇次は、一つ摘み上げると、秀の口元に差し出した。
「甘ぇもん、好きだろ」
秀は、頬を染めたまま、勇次の差し出した亥の子餅にぱくりとかぶりついた。
勇次は、もぐもぐと口を動かす秀を、柔らかな笑みを浮かべて見ている。
秀は、そうして勇次に見守られているのが、心地よくて好きだった。
もちろん照れ臭くもあるのだが。
「お前ぇも食べろよ」
「俺はいいよ」
勇次は、あまり甘いものを好かない。
そのことは秀も知っているが、いわば縁起物なのだから、一口くらいは食べればいいと、秀は思った。
「縁起物だぜ。一口くらい食べろよ」
餅を一つ摘み上げて、勇次に差し出した。
勇次は秀を真似て、そのままかぶりついた。
「甘ぇな」
ほんの小さな一口を食べただけなのに、眉間に皺を寄せている。
秀は、その表情に、くすくすと笑いを零した。
「本当に、嫌いなんだな」
勇次の食べ残した餅を、ぽいっと自分の口に放り込む。
「こんなに美味ぇのに」
「だったら、好きなだけ食べなよ」
勇次は、まだ眉間に皺を寄せている。
秀は、嬉々としてぱくぱくと可愛らしい餅を口に放り込んだ。
まるで子どものような食べっぷりに、勇次はくっくっと喉を鳴らして笑った。
「お前ぇは、本当に甘ぇもんが好きだな」
「悪ぃかよ」
「悪かねぇよ」
そう言うと、勇次は手を伸ばし、秀の手を捉えた。
そのままぐいと引くと、秀の唇に唇を重ねた。
舌を滑り込ませ、口蓋に這わせる。
「甘ぇな」
勇次は、唇を浮かせて呟いた。
秀は、ぷっと吹き出した。
「そこまで嫌いかよ」
「ああ」
勇次は、眉間に皺を寄せたまま、また秀の唇にくちづけた。
[続]



2017.11.17

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