no-dice

Winter's Tale ◇1◇


松田が、白い無機質な病室で目を覚ましたとき、もう既に巽は独りで逝ってしまっていた。
ぼんやりとした意識の中で、肩の疼痛と共に徐々に記憶が甦っていった。真夜中の通報、爆弾製造中の男、巽に向けられた銃口、肩に走った激痛、遠のいていった意識―――。
だが、命がけで守ったはずの命は、松田の手の届かぬ場所で、松田の知らぬ間に、儚く零れ落ちてしまった。
最期を看取ることもなく、別れを告げることさえできなかった。
松田は、巽がもういないということが信じられずにいた。病室の扉を開いて、巽がひょっこりと顔を出すのではないかと思えて仕方なかった。それが、甘く空しい夢に過ぎないと知ってはいたが、松田はその思いに捕われて離れられなかった。
どうして―――どうして、あいつが死ななければならなかったんだ。あいつはまだ、まだ何も―――何もかもこれからだったのに何故―――。
松田は、漸くベッドの上に起き上がれるようになったばかりの身体を引き摺るようにして、病院を抜け出した。

しのつく雨の中、松田は、物言わぬ冷たい石の前にじっと立ち尽くしていた。
傷ついた体の芯まで凍らせるような冷たい雨に打たれながら、松田は胸の中で、「何故?」と繰り返していた。まだ抜糸も済まぬ傷口に、冷たい雨が沁みこんで来るようだったが、松田はそんなことには構わなかった。
自分が現場に居れば、巽に爆弾の処理をさせることはなかった。自分なら確実に処理できたかもしれない。自分さえ現場に居れば、巽を死なせずに済んだ。
しかし、あの夜、巽を庇って松田が撃たれなければ、巽は死んでいただろう。一体自分はどうすればよかったのか。どうすれば巽を守ってやれたのか。
松田の思いは、ぐるぐると同じところを巡っていた。
あの時、男の部屋へ乗り込んだことが拙速だったのだ。大門に連絡を取り、応援を待つべきだった。少なくとも、もう少し周囲を調べてからにすればよかったのだ。血気にはやる若い巽を、松田が引き止めるべきだった。
明らかに、それは松田のミスだった。その小さな判断ミスが、結局は巽の命を奪ってしまったのだ。松田は自分を責めずにはいられなかった。
松田は、冷え切った腕を伸ばし、かじかんだ指先で冷たい墓石に触れた。『巽総太郎 享年二十五』―――あまりにも若い、若過ぎる死だった。その若さが招いた哀しい結末だった。
"ずっと一緒にいよう"―――他愛のない子供じみた約束。口にしたことはなかったけれど、互いに心の中に秘めていた。守れると思っていた。ずっと一緒に闘っていけると思っていた。そのことを疑ったことなどなかった。だが、その暗黙の約束は、あっけなく破られてしまった。
せめて、せめて一緒に死ねたなら、どんなによかったか―――。何故、巽は一人で逝ってしまったのか。何故、自分だけが生き延びてしまったのか。
代わりに自分が死ねばよかった。ただ苦い後悔ばかりが、松田の心を満たしていった。
松田は、くずおれるように巽の墓の前に座り込んだ。ふと目をやると、納骨堂の入口の蓋が僅かにずれていた。松田は、とり憑かれたように渾身の力を振り絞って、その重い石を取り除けた。
暗い納骨堂の中に、ぼんやりと白く浮かび上がる、小さな骨壷が納められていた。松田はおずおずと腕を伸ばし、その小さな骨壷を抱き取った。骨壷は、哀しいほどに小さかった。あの長身の巽が、これほど小さくなってしまったなどとは信じられなかった。信じたくなかった。
松田は、白い骨壷に記された"巽総太郎"の文字をそっとなぞった。
『タツ、タツ、タツ―――どうしておまえは一人で逝ってしまった?』
松田は震える手で、静かに骨壷の蓋を開けた。哀しいほどに白い骨が、小さく、哀しいほどに小さく、骨壷の中に収まっていた。
松田は、その白い骨にそっと触れた。もうどこにも、巽のあの温もりは残っていなかった。松田は、その骨のかけらを一つ摘み上げ、口に運んだ。歯を立てると、カリッと小さな音を立てて、骨は脆く砕けた。白い骨は、哀しいほど脆く、舌の上で崩れた。
一つ、また、一つ、松田は、小さな、本当に小さな巽の骨を、摘み上げては口に含んだ。
冷たい涙が、松田の頬を一筋伝い落ちた。
『リキさん―――』
含羞むような笑みを浮かべて松田を慕い寄ってくる巽の姿が、瞼の裏に浮かんでは消えた。
しとしとと降り続く冷たい雨の中、カリカリと骨をかむ音だけが小さく響いていた。松田の身も心も、冷たく凍りついていった。
このまま、いっそこのまま―――。
「リキ!リキ―――やっぱりここだったか」
病院を抜け出した松田を探してやってきた源田の声を遠く聞きながら、松田はゆっくりと崩れ落ちた。

2003.01.22

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