Butterfly

「タツ、コレだよ」
電話を取った松田が、にやにやと笑いながら小指を立てて見せた。狭いエレベーターの中、爆弾と一緒に閉じ込められた代議士令嬢からの電話だった。
巽が電話を切った途端、刑事部屋の全員が囃したてた。
「よっ!色男!」
「照れてないで、とっとと行けよ!」
照れ臭そうに頭を掻く巽の背中をどやしつけながら、松田は何とはなく、胸の奥に引っかかるものを感じた。なんとなく面白くないのだ。
『あんな、しょんべん臭い小娘にやきもち、なんてな』
そんなわけ、ないか。そう胸の中でひとりごちる。
巽は確かに女にもてる。だが、松田自身、婦警の人気はそう悪くはない。むしろ、もてている方だ。ちょっと高慢ちきなお嬢様なぞ、お呼びでないと言っていい。
なのに、何故だか胸の奥がざわついて、なんとなく面白くない。
「どうした、リキ?」
黙り込んでぼんやりしている松田に、源田が声をかけた。
「なんでもねぇよ」
気を取り直して源田に笑い返す。
『やっかみなんて、らしくねぇ』

『照れてないで、とっとと行けよ!』
代議士令嬢と別れて、一人アパートに戻った巽の脳裡に、松田の声が甦った。笑いを含んだ冷やかしの声。
あのときは、刑事部屋の全員が、あの二宮係長までが巽を囃したてたのだ。松田のセリフなぞ、取り立てて気に留めるようなものではない。
それがわかっていて、何故か巽は面白くなかった。
『なんだよ、リキさんまで』
巽は壁に凭れて天井を仰ぎ、タバコの煙を勢いよく吐き出した。

「お、あれ、タツじゃん」
松田の肩を叩いて、源田が通りの向こうを立てた親指で指示した。
源田の言葉につられて通りの向こうに目をやると、巽がグラマラスな金髪美人と何やら親しげに話していた。流れる車の音にかき消されて、声は聞こえない。
硬派を気取っていて、女にデレデレしたところを見せる巽ではないのに、ときどき声をたてて笑っているようだった。
「コレかな?」
髭面をにやにやと崩して、源田が小指を立てた。
「道でも聞かれて、にやけてんじゃねぇの」
訳もなく苛っとして、松田は吐き捨てた。
「あいつの英語、金髪女に習ったんだろ?」
源田の笑い顔さえ、癇に障る。
「ああ、ベッドの中でな」
そう吐き捨てると、胸のあたりがちくちくと痛む気がした。
高卒の巽が、大門軍団で唯一英語を操るのは、インターナショナルスクールを出ているからだ。だが、勉強とか努力とか、そういう殊勝なことの嫌いな巽が、まともに英語を覚えたとは思えなかった。
『あれが、巽の英語の先生ってわけか』
そう思うと、理由のわからないイライラが増す気がした。
「ほっとけよ」
松田は、胸ポケットから煙草を取り出して咥えると、もう通りの向こうには目をやらず、すたすたと歩き始めた。
「なんだあ、リキ」
妙に苛ついている松田に、怪訝な顔をした源田が、慌ててついて行った。

『あれ?』
インターナショナルスクールのクラスメートだったキャサリンと、偶然、数年ぶりに再会し、昔話や仲間の噂話についつい花を咲かせていた巽は、ふと眼をやった通りの向こうに、松田と源田の後ろ姿を見つけて、言葉をとぎらせた。
「どうしたの、ソウ?」
急に黙り込んだ巽を、キャサリンが怪訝な顔で見上げた。
「え。あ、なんでもない」
慌ててかぶりを振って、キャサリンに視線を戻した。
「で、ケントとエリーは結婚したの?」
「何言ってんの。とっくに別れたわよ。今、エリーはフリーよ、ソウ」
キャサリンが意味ありげに笑って見せた。
「スクールのとき、エリーに気があったでしょ、ソウは」
キャサリンがくすくすと笑ってみせる。
「何言ってんだよ。キャシーこそケントに熱上げてたじゃん」
巽は、どぎまぎとした自分を隠すように唇を尖らせた。
『俺、何にどぎまぎしてんの?』
昔ちょっといいなと思った女が今一人だと聞いたところで、いまさらやけぼっくいに火がつくわけでもなし、自分の動揺の原因がわからなくて、巽は尚更どぎまぎとした。
「あんなの、子供の時の話よ」
つんとして髪をかきあげながら、キャサリンが言い放った。
「ね。それより、ソウ。今、一人?」
小悪魔めいた笑みを浮かべて、キャサリンが巽の眸を覗き込んだ。
「え?・・・ああ、まあ」
「じゃあ、あたしと付き合わない?」
キャサリンの突然の誘いに、巽はキョトンとした。
「何言ってんだよ。俺なんか、お呼びじゃないんだろ?」
「昔はね。でも、今のソウは、とってもセクシーだもの」
青い瞳をキラキラと輝かせて、キャサリンは巽の首に両腕を巻きつけた。
「ソウは、やっぱりエリーがいいの?」
「そういうわけじゃ・・・」
言いよどむ巽の唇に、キャサリンの真っ赤な唇が一瞬触れて離れていった。
「じゃ、決まり!今度、デートしましょ」
巽は、有無を言わさぬキャサリンに、押し切られてしまった。

[to be continued]
[Story]