no-dice

LIAR GIRL ◆2◆


「だから、あすかちゃんには護衛が必要なんです」
現場責任者である部長刑事の大門圭介は、平尾の事情説明を黙って聞いていた。何かを考え込むように、デスクの一点を見つめている。
「その子が、ヤクの取引現場を見たっていうのは確かなのかね?」
捜査係長の二宮武士が、落ち着きなく、平尾に尋ねた。
「それは―――」
言いよどむ平尾に、二宮は畳み掛けるように続けた。
「その男は父親だと言ったんだろう?昼間っから、学校にも行かずにふらふらしている子だ。父親が咎めたっておかしくない」
「それは、そうなんですけどね」
「それに、見たって言う男も前科者カードには載っていないんだろう?」
「ええ、まあ」
「それじゃあ、君ねぇ。護衛をするって言ってもねぇ。雲を掴むような話じゃないか」
二宮に畳み掛けるように結論づけられて、平尾は、両手の人差し指の先を合わせながら、
「そりゃまあ、そうとも言えますけど・・・」
と口の中でもごもごと呟いた。
「大体、少年課じゃ評判の嘘つき少女だって言うじゃないか」
二宮の言葉に、平尾は鳩村をちらりと睨みつけた。鳩村は素知らぬふりで、窓の外を眺めている。
「ポッポ、その辺りはどうなんだ?」
大門に、いきなり話の矛先を向けられて、鳩村はちょっと眼をしばたたかせると、頭を掻きながら口を開いた。
「まあ、少年課の婦警たちの話じゃ、ちょっとしたもんらしいですよ」
「ちょっとしたもの?」
「ここ1ヶ月の間に、十回近く駆け込んできてるらしいんです」
「十回近くとは穏やかじゃないねぇ、君」
二宮が合いの手を挟む。
「大抵は、悪いおじさんに追いかけられたとか、攫われそうになったとか言うんですが、少年課が外を見回っても誰もいないって言うんです」
「でも団長」
平尾は必死の思いで口を挟んだ。
「それが全部本当だとしたら、あすかちゃんの身は危険だって言うことに・・・」
平尾の懇願に心を動かされたのか、それまで黙って聞いていた松田猛が、徐に口を開いた。
「団長。とりあえず、イッペイをしばらく彼女に張りつけるってことで、どうでしょう。幸い、今大きな事件も抱えてませんし」
大門も、概ね同じようなことを考えていたのだろう、一つ頷くと平尾に眼を向けた。
「一週間だ、イッペイ。一週間、その子に張りついてみろ。事件性があれば、その間に何らかの動きがあるだろう」
「ありがとうございますっ」
平尾は、大げさなほどに頭を下げると、あすかを待たせてある小会議室へと向かった。
「リキ」
平尾が刑事部屋を出て行くのを見送った大門が、徐に松田を呼んだ。
「はい」
「そのあすかって子の身辺をちょっと洗ってみてくれ」
「分かりました」

「あすかちゃん、おうちに帰ろうか」
平尾は、小会議室で事務員に付き添われてジュースを飲んでいたあすかに、にこやかに声を掛けた。
「やだ」
即座に帰ってきたあすかの答えに、平尾はかくんと膝を崩した。
「や、やだってあすかちゃん」
あすかは、平尾の顔を見上げると、唇をつんと突き出した。
「だって、悪いおじさんがいるよ?あすか、捕まっちゃう」
一人前に理屈を言うあすかの頭を撫でて、平尾は笑って見せた。
「大丈夫。お兄ちゃんがずーっと一緒にいてあげるから」
「ほんと?」
あすかの顔がぱっと明るくなった。
「ほんと、ほんと。悪いおじさんが来たら、パパーっとやっつけちゃうから!」
胸を叩いて、自慢げに言う平尾に、あすかは子供らしい率直さで懐疑的な眼を向けた。
「でも、お兄ちゃん、さっき悪いおじさんに逃げられたよ?」
あたたたた、と頭を抱えて、平尾は苦笑いをして見せた。
「ま、さっきは、ね。さっきは、ちょっと油断したから」
そして、口調を変えて真面目に宣言した。
「これからは大丈夫。絶対あすかちゃんを守ってあげる」
あすかはやっと納得したように、こくんと頷いた。
「うん」
「じゃあ、行こうか」
ぴょこんと立ち上がったあすかは、レディに対するように差し出された平尾の腕に、一人前に腕を絡めた。
「でも、おうちに帰るのはやだ」
「どうして?」
「おうちは怖いもん」
「お兄ちゃんが一緒でも?」
「―――だって・・・ねぇ、それよりどっか行かない?」
突然のあすかの提案に、平尾は戸惑った。
「どっか、ってあすかちゃん・・・」
「イッペイお兄ちゃん、あすかとデートしよっ!」
ぴょんぴょんと跳ねるようにして、あすかは平尾の腕を引っ張って西部署を後にした。

「名前は、松尾あすか。小学5年生。船員をしている父親と二人暮らしのようです。父親の名前は、松尾忠。二等航海士で、働きぶりは真面目だそうですが・・・」
言葉を切った松田に、大門は目線で先を促がした。
「ここ半年ほど様子がおかしかったらしく、この1ヶ月は、急に休みを取って全く仕事先には顔を見せていないそうです」
表情を変えた鳩村が口を挟んだ。
「何か臭いますね」
大門は、無言で眉を寄せたまま、何かを考え込んでいるようだった。
「母親はどうしたんだね?」
二宮がそわそわと尋ねた。
「5年前に家を出て、消息不明です」
「あんな小さな子を置いて・・・無責任な女だなあ」
源田浩史が不満げに鼻を鳴らした。
「もう少し、父親の身辺を洗ってみますか?」
松田の言葉に、しばらく無言で考えをまとめていた大門が、一つ頷いた。
「ご苦労だが、そうしてくれ」
「はい」

「ねぇねぇ、あれ乗ろうよ!」
結局、あすかに引きずられるまま後楽園遊園地にやってきた平尾は、やれジェットコースターだ、観覧車だ、メリーゴーラウンドだ、とあすかの望むまま、遊園地の中を行ったり来たりしていた。
「あすかちゃーん、そろそろおうちに帰らない?」
元来、こういったアミューズメントの嫌いな方ではない平尾ではあったが、相手が妙齢の女性ならともかく、十やそこらのお嬢ちゃまではもうひとつ盛り上がらない。ましてや、相手が得体の知れない何者かに狙われているらしいとあれば、そうそう気を抜くこともできない。
平日の遊園地は、さほど混雑していないのが、今の二人にとって吉と出るか凶と出るか、微妙なところだった。怪しいものが紛れ込んでいれば目立つだろうが、絶対的に人の目が少なく、犯行に及び易い面もある。
平尾は、害のなさそうな子供連れのお兄さん、といった風を装って笑いながら、その実、周囲に隙のない目を配っていた。
「もう暗くなっちゃうよ」
平尾の言葉に、あすかはちょっと不満げに頬を膨らませたものの、こくりと頷いた。
「じゃあ、あすか、ちょっとおトイレ行ってくる」
平尾は、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように走っていくあすかの後ろを、周囲に注意を配りながら歩いていった。
妙に可愛らしくデコレートされたトイレの前で、いったんあすかを捕まえる。
「あすかちゃん、気をつけるんだよ。何かあったら大きな声出して。いいね」
目を覗き込んで、言い含める。
「うん、分かった」
一応神妙に頷いて見せたあすかだったが、すぐにくすくすと笑い出した。
「でも、悪いおじさんは女子トイレには入れないよね?」
「多分ね」
平尾が笑ってあすかの頭を撫でると、あすかは小さく手を振ってトイレの中に姿を消した。
こういうとき、男の刑事では手が回りきらない。まさかに、女子トイレの中にまで付いていくわけにいかないからだ。
少し離れた場所でトイレの入り口を見張りながら、平尾は女性刑事の必要性を考えていた。
その心の隙を突かれた形になった。
ふと気づくと、あすかがトイレに入ってから随分と時間が経つのに、一向に出てくる気配がない。
平尾は女子トイレの入り口に駆け寄り、うろうろと周囲を見回した。
「あすかちゃーん」
大きな声で呼んでみるが、反応はない。
「警察です!」
迷った末に、警察手帳をかざしながら、女子トイレに踏み込んだ。さっと中を見回した後、個室を一つ一つ確認して回るが、猫の子一匹いない。
「あ、あすかちゃーん・・・」
おろおろと周囲を見回すと、奥の換気用の窓が開いていた。
「しまった!」
慌てて小さな窓に無理やり体をねじ込んで、薄暗い外へと飛び出したが、そこにはあすかの姿はもちろん、何かの怪しい気配ひとつ残ってはいなかった。

「何やってんだ!お前はっ」
あすかを見失って、1時間余りも少女の姿を探して歩いた平尾だったが、何の手がかりも得ることができないまま、署に戻る羽目になった。
目を剥いた源田に怒鳴られて、平尾は首をすくめて平謝りに謝った。
「そんなに怒鳴らないでよー、ゲンちゃーん」
「お前がガードさせてくれって言ったんだろうがっ」
なおも怒鳴り散らす源田を、大門が目線で黙らせる。そのまま視線を平尾に移して口を開いた。
「最近、管内のシャブの動きがおかしいのは知ってるな?」
大門軍団は、ちょうど半年ほど前に、仁竜会のシャブの密輸ルートを壊滅させた。しばらくは、シャブの流通が滞っていたが、一月もたたないうちに新たなルートが動き始めたらしかった。
「ところが、だ」
と、鳩山が気障ったらしく肩を竦めて見せた。
「ここ一月ほど、どういう訳かシャブの動きが止まってる」
しばらくきょとんとしていた平尾が、何かをひらめいたようにぱっと表情を引き締めた。
「あすかちゃん!」
一つ息を吸い込んで、慌てたように言葉を継ぐ。
「あすかちゃんが、署に出入りするようになったのも一ヶ月ほど前ですっ」
「その辺に、何かありそうだな」
大門が、重々しく頷いた。 約一ヶ月前、仁竜会の後釜に座った密輸組織とあすかの間に、何らかの接触があった可能性が高い。おそらくは、あすかが取引現場を見てしまったのだろう。
「だとすれば、あすかちゃんの身は益々危険に・・・!」
悲鳴のような声を上げる平尾の頭を源田が小突いた。
「その肝心のあすかちゃんを見失うなんて、大ポカもいいとこだ!」


2008.01.08
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