Temptation

〜扇情〜

松田が、兼子の耳元に口を寄せ、何事かを囁いた。くすぐったそうに肩を竦めて、兼子が笑った。松田の腕が兼子の首に絡みつき、もう一方の手が、兼子の額を軽くこづいた。
巽は、昼下がりの刑事部屋で、じゃれあうように何事かを話している松田と兼子の姿を見て、胸を抉られるような思いがした。
『俺のことが好きかい?』
早朝の刑事部屋で、巽の首に腕を絡ませ、蕩けるようなくちづけをくれた松田の言葉。その言葉に、巽の胸の中に眠っていた松田への想いが密やかに、だがはっきりと目を覚ました。
だが、あれきり、松田は巽に何も言ってはくれない。あれほど絡みつくように向けられていた松田の視線さえ、今は感じない。
ここ数日、松田は兼子を構ってばかりいる。パトロールに出るときも、兼子を助手席に乗せ、いつものように巽のハーレーに併走することもない。
じりじりと灼けつくような想いに捉われて、巽は松田を見つめた。
突き刺すような、縋るような巽の視線に気づいたのか、松田がちらりと視線を巽に向けた。目だけで笑って見せると、すぐに興味をなくしたように巽から視線を外し、兼子の耳朶にくちづけんばかりにして、また何事かを囁きかけた。
巽は爆発しそうな想いを胸に抱え込み、いらいらと爪を噛んだ。

「リキさん、待てよ!」
暮色が濃くなった廊下で、巽は松田を呼び止めた。
松田の細身の体を壁に押し付けるようにして、その眼を覗き込む。松田が逃げられないように、その顔の両脇に手をついた。
「何、ぴりぴりしてんだよ」
巽の胸中を知らぬげに、松田はのんびりとした声で問い返してきた。
「あんた、何考えてんだよ」
巽に蕩けるようなくちづけを与えておきながら、『俺のことが好きかい?』と訊いておきながら、いつの間にか、兼子を構ってばかりいる松田の本音を知りたかった。あれは何だったのだ、と問い質したかった。
募る想いに追い立てられるようにして、松田に向き合った巽の胸中を知ってか知らずか、松田はにやりと笑って見せた。
「ワルいコト」
その妖艶な笑みに、心臓を鷲掴みにされたような想いがして、巽は思わず、松田の唇に唇を重ねていた。薄く開かれた唇の間に舌を滑り込ませ、松田の舌を捕らえて絡めとる。
巽のぎごちないくちづけに応えるでもなく、唯されるがままになっていた松田の膝が、そろりと巽の両膝の間に滑り込んだ。太腿で、巽の内腿をそろりと撫で上げる。と、同時に、拙い愛撫を繰り返す巽の舌をかわして、松田の舌が巽の口腔に滑り込んだ。つっと口蓋を撫で上げ、ちろちろと歯列をなぞる。巽の上唇を甘噛みし、きつく吸い上げる。
松田の濃厚なくちづけと、いたずらな脚に翻弄されて、巽は膝から崩れ落ちそうになる。その背を抱いた松田の掌が、さわさわと巽の背中を撫で上げた。
体の奥底から湧き出してくる、ぞくぞくするような快感に、巽はもう何も考えられなくなっていた。無我夢中で松田の肩に縋りつく。
松田が、ちゅっ、と濡れた音を立ててくちづけると、二人の唇の間を透明な糸が繋いだ。
「リキさ―――」
濡れた声で松田の名を呼ぶ巽の唇を、松田の唇が再び塞いだ。松田の膝が、巽の中心をやんわりと刺激する。
「く―――ん」
巽が、親犬に甘える仔犬のような声を上げた。もう巽は、立っていられそうになかった。
そのとき。
「リキ!タツ!」
突然、割れ鐘のような源田の声が廊下の向こうから響いてきた。
「事件だ!」
とん、と巽を突き放した松田が、にやりと笑って囁いた。
「続きは、また今度な―――」
するりと巽の脇を擦り抜けると、何事もなかったかのように足早に刑事部屋へ向かう。
甘い陶酔の中、突然放り出された巽は、ふらりと壁に寄りかかった。しっとりと濡れた唇から、熱い吐息が漏れた。
「タツ!早く来い!」
松田の声に、震える足を踏みしめながら、巽は刑事部屋へ向かった。懸命に、何事もなかった振りを装いながら―――。


2004.07.01
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