Temptation

〜誘惑〜


早朝。松田は足音を忍ばせて、刑事部屋のドアを開いた。
前夜宿直だった巽が、ソファの上に長身を投げ出して眠っている。
松田は、そっとその寝顔を覗き込み、まだ少年の面差しを残す顎のラインを密やかに見つめた。
しばらく、身動ぎもせず巽の寝顔を見つめていた松田は、そろりと手を伸ばすと、巽のアイマスクをそっと額の方へとずらした。宿直中の仮眠にも拘らず、ぐっすりと眠り込んでいる巽は、ぴくりとも動かずに健やかな寝息を立てている。
アイマスクの下から現れた目元は、顎のライン以上に少年っぽさを残しており、巽の寝顔は、一層あどけなさを増した。日頃のぎらついたナイフのような眼差しを、閉じた瞼に隠した巽の、普段からは想像もつかないようなあどけない寝顔を、松田は、飽くことなく見つめていた。自然と口元に微かな笑みが浮かぶ。
何か夢を見たのか、少し身動ぎをした巽がくふん、と小さく鼻を鳴らした。子供のような巽の寝姿に、松田の口元の笑みが大きくなった。
松田は、覆い被さるように巽の寝顔を覗き込んだ。ゆるく閉ざされた唇に触れんばかりに唇を寄せると、巽の微かな寝息が松田の喉元の肌に触れた。そのまま、掠めるように巽の唇に唇を触れる。思った以上に柔らかなその感触を楽しむ間もなく、微かに触れた唇は巽の少年のような顎のラインを辿った。
「ん―――」
揶揄うように肌を掠めた松田の唇の感触に、巽が身動ぎをして、薄く瞳を開いた。
松田は、僅かに身を起こし、巽の眼を覗き込んで微笑んだ。
「おはよう」
あまりにも至近距離にある松田の笑顔に、巽の胸はどきりと高鳴った。一瞬にして頬にさっと血が上るのが分かる。
「リキさん?」
どぎまぎしながら見上げて来る巽に、松田はにっこりと微笑んだ。
「おまえの寝顔、可愛いな」
松田の言葉に、耳まで赤く染めた巽は、慌てて身を起こした。
「可愛いってなんだよ!」
ムキになった巽の上擦った声に、松田はくすくすと笑いを零した。
「そういうところが、ホント、可愛いよ」
松田は、すっと巽に身を寄せると、じっと巽の眼を見つめて、妖艶に微笑んで見せた。
「なん・・・何なんだよっ、何言ってんだよ!?」
どぎまぎと口篭る巽を見て、満足げに微笑むと、松田は身を起こし、巽から身を離した。
「顔、洗って来いよ。目やにがついてるぞ」
にやりと口元に笑みを浮かべると、松田はあっさりと身を翻し、自分のデスクに座ってしまった。
脳裡にほんの少し前まで目の前にあった松田の妖艶な笑みを灼きつけた巽の胸は、どきどきと高鳴っていた。
「か、顔洗ってくらぁ」
巽は、もごもごと口篭るようにいうと、松田と同じ部屋にいることだけでも恥ずかしいかのように、慌てて刑事部屋を出て行った。
早朝の刑事部屋にひとり取り残された松田は、くすくすと楽しげに笑っていた。

2003.04.22
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