no-dice

HAPPY HAPPY NEW YEAR


年の暮れは、いつにもまして犯罪が多くなる。つくづく世知辛い世の中だ。
そうでなくとも凶悪犯罪の多い西部署管内では、高校生の万引きに始まって、銀行強盗まで、犯罪のオンパレードで一年が暮れていこうとしていた。
それでも、年内に起きた犯罪は年内に解決することができ、無事大晦日を迎えることができた。しかし、刑事たちに盆暮れ正月は関係なく、警邏課の応援として、初詣客が繰り出す街のパトロールに駆り出されていた。
「はあ、今年もこうやって暮れてく訳だ」
立ち食い蕎麦屋で、年越し蕎麦をすすりながら、巽がぼやいた。
「おまえね、年寄り臭いよ」
松田が、片眉を上げて応えた。
「だってよぉ、去年も銀行強盗追っかけてさぁ、正月休みなんてなかったじゃん」
ずずっと音を立てて蕎麦をすすりこんで、はあっと大きく溜息をつく。
「世間じゃ、今頃、日本レコード大賞だ、紅白歌合戦だって盛り上がってんだぜ」
「おまえ、紅白なんて見たかったの?」
松田が、呆れたように巽を見た。
「そういうわけじゃなくってさあ、俺たちも世間並みの大晦日ってやつを過ごしたいってこと」
松田が、くくっと喉の奥で笑った。
「ちゃんと年越し蕎麦も食ってんだろ」
巽が、子供のように口を尖らせた。
「もっとちゃんとしたとこで食いてぇっての」
その声を聞きとがめた店主が、じろりと巽を睨みつけた。
「ちゃんとしたとこじゃなくてすみやせんねぇ」
「あ、や、そういうわけじゃなくって・・・」
巽が慌てて、手を振って言い訳をする。
「悪いね、旦那。こいつ、ガキだからさ、ちゃあんとおうちで新年迎えたいってだけなんだ」
ぐっと、残った出汁を飲んで、松田が踵を返した。
「ご馳走さん」
置いて行かれそうになった巽が、慌てて箸を置く。
「おやっさん、悪ぃ!旨かったよ!」
巽のことなどまるでお構いなしに、すたすたと人込みの中に紛れていく松田の細い背中に追いすがる。
「置いてくことねぇだろ、リキさん」
「ぐだぐだ言わずに、お仕事、お仕事」
松田は笑って、追いついてきた巽の頭を、ぽこんと一つはたいた。
そろそろ除夜の鐘も鳴ろうかという頃、通りには、凍てついた空をものともせず、老若男女が溢れている。
こんな人込みでは、スリ騒ぎのひとつも起こりそうだ。
松田が、ふと警戒心を抱いた瞬間、一辻向こうで女の金切り声が上がった。
「引ったくりよ!誰か、誰か捕まえて!」
わっと人込みが割れて、にきび面の男が松田たちの方へ向かって駆けてきた。小脇に、明らかに女性物のバッグを抱えている。
巽が、さっと男の進路に立ち塞がる。
「どけよ!」
怒鳴った男が、巽をかわして擦り抜けようとするところに、松田の細い足がすっと伸びた。
ものの見事に、男は顔面から路面へ突っ込んでいった。その背中を巽がすかさず踏みつける。
「はいはい、お仕事増やさないでねー」
男の傍らに屈みこんだ松田が、バッグを取り上げる。
「なんだよ、てめーら!ぶっ殺すぞっ」
巽の長い脚の下でじたばたともがきながら、男が喚き声を上げた。
「歳末警戒中のお巡りさんだよ」
巽が、腰の後ろから出した手錠を男の手首に掛けて、面白くもなさそうに言った。
「全く仕事増やしてくれちゃって・・・」
あーあ、とわざとらしく大きく溜息をついてみせる。
「ぼやかない、ぼやかない」
まだ青褪めた顔をした被害者の肩を抱いて、松田が言った。
近くの派出所に男と被害者を連れて行き、制服警官に預けたところで、遠く除夜の鐘が響き始めた。
「ほんっと、ろくでもねぇ年越しだよな」
派出所を出て歩きながら、巽がまたぶつくさと文句をたれ始める。
松田は、そんな巽を横目に見やって、ふふっと含み笑いをした。
「俺は、そうでもねぇと思うけどな」
「そうかぁ?」
全く考えられない、とでも言うように、巽が声を上げる。
「そろそろ、寺の方でも回るか」
除夜の鐘を撞く人々で混雑する寺の境内に入っていくと、ほとんど身動きの取れないほどの人ごみだった。
「あーあ、鐘でも撞いて厄落としすっかな」
巽が凍えた手をこすり合わせてぼやいた。
「おまえね、除夜の鐘は厄じゃなくって煩悩を払うもんなの」
呆れたように言った松田が、くくっと喉の奥で笑った。
「ま、おまえは、ちょっと煩悩を払った方がいいかもな」
「なんだよ、その言い方」
不満げな巽の顔を見やって、松田はにやにやと笑った。
「酒に、煙草に、競馬に、麻雀、それから、女に―――」
「リキさん」
いい加減人ごみの中で密着している松田の細い体をさらに抱き寄せて、耳元に囁く。
「莫迦」
松田が肘鉄を食らわす。
「ほんとに、煩悩を払って来い!」
「へいへい」
巽は、人ごみの中を縫うように鐘撞き堂へと歩き出した。あっという間に、二人の間に人ごみが割って入り、どんどん距離があいていく。
「リキさん、はぐれちまうだろ」
遅れた松田に気づいて、人の波に逆らうように戻ってきた巽が、松田の手を掬い取って握り締める。
「何やってんだよ、おまえは」
人目を気にして慌てて手を引く松田の細い指に、長い指を絡める。
「この人ごみじゃ、誰も気づきゃしないって」
さりげなく前を向いたまま、囁く。
「まったくおまえは、煩悩の塊だな」
ちょっと俯いた松田が、ゆるく巽の指に指を絡めた。
そのまま人の波に流されるまま、鐘撞き堂へ向かう。互いの手袋を通じて、じんわりと互いの温もりが伝わりあう。鐘撞き堂までの短い距離が、永遠になればいい、と思った。
それでも、緩やかな人の波は確実に鐘撞き堂に続き、二人も刑事の顔をひとまず捨てて、鐘を撞いた。
「おまえは、全然煩悩が払えてないじゃねぇか」
鐘撞き堂から降りて、また松田の手を握ろうとする巽の手をかわして、松田が言った。
「いいじゃん、けち」
巽は、子供のように口を尖らせた。
そろそろ除夜の鐘も百八つを数える。旧い年が去り、新しい年が始まろうとしていた。
「今度は神社だな」
二人は、初詣客で賑わう神社の方へ足を向けた。
寺以上に混雑している人ごみの中、人の波に流されるまま、社殿へ向かってゆっくり歩いていく。
「ついでに初詣でもしていくか」
ちらりと巽の方を見て、松田が言った。
「いろいろ願い事もあるだろうしな」
「あるある、大有り」
にやにやと笑う巽を見て、松田は大袈裟に溜息をついて見せた。
「ほんとに煩悩の塊だな、おまえは」
「何とでも言って」
松田の言葉も意に介さず、巽は、ポケットをごそごそと探ると五円玉を取り出した。
「やっぱ、『ご縁がありますように』だよな」
にやにやと意味ありげに笑って見せる巽に、松田は、ふふんと鼻で笑って見せた。
「『十分ご縁がありますように』だろ」
松田は、十円玉と五円玉を摘んだ手を、巽の顔の前でひらひらと振って見せた。
「あーっ。誰との縁だよっ、誰との」
「おまえこそ」
むきになる巽を、ちらりと睨んで見せる。
「そんなの決まってんだろ」
巽がすっと松田の耳元に口を寄せた。
「リキさんとの縁だよ」
「おまえは、ほんっとに莫迦だよ」
松田は少し俯いて、呟いた。
二人並んで社殿の前に立ち、賽銭を放り込んで鈴を鳴らす。柏手を打って、それぞれしばらく願いをかけた。
「一応、裏手の方も見回っとくか」
松田に促されて、人ごみを抜け、社殿の裏手に回る。
「さすがに、裏手は人がいねーな」
松田が凍えた手をこすり合わせながら言った。
社殿の裏手に回ると、表の人ごみが嘘のように閑散として真っ暗だ。
「これじゃあ、事件も起きようがねえってか」
巽がちょっと笑って見せた。
「リキさん」
すっと松田の腕を取った巽が、ぐっと松田の細い体を引き寄せた。いつもなら、何かと巽をはぐらかす松田が、珍しく素直に抱き寄せられる。暗がりの中で、二人の唇が重なった。
「今年のファーストキス」
巽がにやりと笑う。
「莫ぁ迦」
松田が苦笑いを零す。
笑みを刷いた唇に、巽が、角度を変えながら、ついばむようなくちづけを繰り返す。誘うように薄く開かれた唇の間から、そっと舌を滑り込ませて、松田の舌を絡めとる。歯列をなぞり、口蓋を撫で上げた。
「は」
巽の貪るようなくちづけの合間に、松田が酸素を求めるように口を開いた。真っ暗な社殿の裏では巽にわからないのが幸いだったが、松田の頬が上気して、ほんのりと赤く染まっていた。
「ほんとは、姫はじめっていきたいところだけどな」
巽の手が、松田の形のいい尻をするりと撫でた。
どこっ。 鈍い音がして、松田の細い膝頭が巽の鳩尾にめり込んだ。
「調子に乗るな」
容赦のない蹴りを入れられた巽は、くの字に身を折って呻いた。
「いでででで」
松田は意に介さず、くるりと踵を返して歩き出す。
「リキさん、ひっで―なー」
ぶつぶつとぼやきながら松田の後を追う巽を、松田がふと振り返った。ちょいちょい、と指で手招きをする。
誘われるように近づいた巽の頭をぐいっと抱き寄せて、唇を重ねる。一瞬触れさせた唇を浮かせると、巽の眸を覗き込んだ。
「俺からの、お年玉」
にやっと笑って見せると、今度こそ踵を返して振り向きもせず、社殿の表へと歩いていく。
「なんだよ、正月早々ガキ扱いかよっ」
不満そうに声を上げた巽の口元が、言葉とは裏腹ににやにやと緩んでいた。
「そう悪くねぇ年越しだったかもな」

[END]



初出:『裏西部』2006.01.01に加筆修正
2015.01.01再掲
[Story]