no-dice

LIAR GIRL ◆3◆


「まだ、ブツは見つからないのかっ!」
三枝武弘は、いらいらと握り拳でデスクを叩きつけた。
「へ、へい。申し訳ございやせん・・・」
デスクの前に居並んだ男たちが、首を竦めながら、口々に言い訳をした。
「あの船乗り野郎はどうしたんだ?とっとと捕まえて、締め上げて吐かせちまわねぇかっ」
三枝の額に青筋が浮かぶ。
「それが、その、あの野郎、あれきりどこへ消えたか、皆目・・・」
額に冷や汗を浮かべたチンピラがもぞもぞと答える。
「だったら、小娘を取って来い!娘を餌におびき出せ!」
「へい!」
男たちは、弾かれたように事務所を飛び出していった。

「今度こそ、今度こそ、あいつら捕まえさせてやるんだから」
薄暗い廃船の隅っこで膝を抱えて、あすかは自分の両肩を抱いて、勇気を奮い起こすように、繰り返しつぶやいていた。
足元に置いた、くたびれたボストンバッグをじっと睨みつける。
「絶対パパを助けなくっちゃ」
親指の爪を噛みながら、あすかは小さな頭をフル回転させていた。
このまま、麻薬の入ったバッグを抱えて隠れていても事態は何も動かない。警察を動かすためには、バッグを警察に持ち込むのが一番だが、あすか自身はこの麻薬を密輸している組織を知っているわけではない。その辺りの捜査は警察に任せればいいのだが、それではあすかの父、忠もまた、組織の一員として逮捕されてしまうだろう。そんなことは絶対にさせられない。
「助けて、イッペイお兄ちゃん」
父の目を掠めて、このボストンバッグを持ち出して一月。あすかは何度も西部署に駆け込んだが、全く相手にされなかった。今日、やっとあの『イッペイ』という刑事が話を聞いてくれた。これが唯一のチャンスなのだと、あすかは思った。
「あすかを見つけて!」
そうつぶやくと、あすかはすっくと立ち上がり、廃船から夜の街へと滑り出した。

「あすかちゃーん、どこだーい?」
平尾は情けない声を上げながら、ハンドルを切った。
「しっかりしろよ、イッペイ」
助手席から、松田が冷静な声をかける。
「そんなこと言ったって、リキさぁん」
平尾はほとんど半泣きになっている。
「落ち着けよ。もし、あすかちゃんが追われているとして、敵に見つかっていれば、もう殺されてる」
冷静な松田の言葉に、平尾は冷たい塊が鳩尾の辺りへ滑り落ちていくのを感じた。
「だが、子供一人を殺したところで、わざわざ海に沈めたり山に埋めたりはしないだろう。とすれば、もうそろそろ、あすかちゃんの遺体が発見されていておかしくない」
「と、言うことは、まだあすかちゃんは無事ってことですね?」
救いを求めるようにちらりと松田を横目で見やる平尾に、松田は感情を抑えた声で答えた。
「あくまで、希望的観測だが、な」
松田は、憂いを秘めた目で車窓を流れる夜の街を見つめていた。

「おい!いたぞっ」
背の高い、右頬に斜めに傷跡のある男が仲間に向かって叫んだ。その視線の先を、小さな影が走っていく。
ばらばらばらっと、黒い影が集まって来た。
「逃がすな!」
夜の街を、人相の悪い男たちが駆け抜けていく。通行人が恐れるようにして道をあけ、その後ろ姿を見送った。だが、誰も、男たちに追われる小さな影には気付かなかった。

「松尾。ブツをどこへ隠した?」
三枝が低い声で問うた。
人相の悪い男たちに囲まれて、松尾は、がくがくと震えていた。かなりの暴行を受けたらしく、顔が紫色に腫れあがっている。
「し、知らない」
「いつまでも、そらっ惚けていられると思うなよっ」
松尾の背後から、怒号が飛んだ。
「ほ、本当だ。む、娘が、どこかへ隠してしまったんだ」
「ほう。あの可愛いお嬢ちゃんがね」
三枝の目が、蛇のように冷たく光った。にやりと唇の端を持ち上げる。
「おい、おまえら、松尾の旦那はお嬢ちゃんがどうなってもいいらしい」
「へい」
住む世界の違う男たちの凄みに、松尾の額に脂汗が浮いた。
「む、娘には、娘には手を出さないでくれ。お、俺が、必ず娘から取り返す、だから・・・」
「明日、午後五時。それ以上は待てん」
三枝の声が一段と凄みを帯びた。

「助けて!イッペイお兄ちゃん」
はあはあと息を切らせて、あすかは夜の街を逃げ惑っていた。思惑通り、父に麻薬を運ばせていた男たちをおびき出すことに成功したあすかだったが、男たちに追われて、どんどんと西部署から離れていってしまっていた。どこでもいいから交番へ逃げ込めばいいようなものだが、そこはまだ10歳の子供のこと、とにかく平尾に救いを求めて必死で走り続けていたのだった。
「つぅかまぁえた!」
頭上から大きな声がして、あすかの体はふわりと宙へ浮いてしまった。
「いやあっ」
あすかは、必死で両手足をバタバタとさせたが、胴をがっしりと抱え込まれてびくとも動かなかった。
「助けて!誰か、助けてー!!!」
あすかは、必死に助けを求めたが、夜の街をそぞろ歩いていた通行人たちは、人相の悪い男たちに恐れをなして、遠巻きに取り囲んでいるばかりだった。

≪松尾あすからしい少女が拉致された≫
無線から聞こえてきた大門の声に、平尾は蒼白になった。
「ほ、ホントですかっ?」
「場所は?」
松田が冷静に、現場を確認する。
≪五反田だ≫
「急行します」
平尾が半泣きになりそうになりながら、急ハンドルを切った。
≪見るからにやくざ風の男が5、6人で、小学生の女の子を無理やり車に乗せるのが目撃されている≫
≪組織の連中ですね≫
鳩村の声が無線に割り込んでくる。
≪とにかく、松尾あすかの身柄を保護すること。それを第一に行動してくれ≫
今は、いつもと変わらず沈着冷静な大門の声が、平尾にとっての唯一の救いだった。

「大門さん、お客様です」
課長室で善後策を話し合っていた大門を、事務員が呼びに来た。
「客?」
怪訝な顔で刑事部屋に戻った大門を待っていたのは、顔を青黒く晴れ上がらせた松尾忠だった。
「お願いです。娘を助けてください!」
松尾は、そう言うなり、その場に土下座して、ぼろぼろと涙を零した。


2008.03.21
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