「リキさん」
巽が、照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに投げてよこしたヘルメットからは、多分に気のせいではあるだろうが、微かに甘い香りがした。隠しようもなく嬉しげな巽の背中をちらりと見やって、松田は、煙草の煙を胸深く吸い込み、甘い香りの残るヘルメットの内側に吹きつけた。
「どしたの、リキさん」
「なんでもねぇよ」
少し訝しげに振り返った巽に軽く笑って見せると、松田はヘルメットを被り、タンデムシートに腰を下ろした。ハーレーのエンジンをかける巽の背中に向かって、小さく苦笑を漏らす。
「なんでもねぇよ」
突堤の先の黒い海に、金色の下弦の月が揺れている。どこかで汽笛の音が響いた。
結局、高速をあてもなく走った後、誰もいない真夜中の埠頭まで足を伸ばした。突堤に停めたハーレーに跨ったまま煙草を咥えた巽の背中に凭れて、松田も煙草を燻らせた。
何を話すでもなく、煙が潮風にさらわれていくのを、ただぼんやりと眺める。触れ合った背中から、互いの温もりと、煙を吸い込むゆっくりとした動きだけが伝わってきた。そうやって、随分と長い時が流れていった。
まだあたりは闇に包まれてはいたが、もう、どこか遠くに朝の気配が漂い始めていた。
「リキさん、今、何時かな?」
巽がぽつりと呟いた。
「さあなぁ。もうそろそろ、夜が明けるだろ」
松田は、時計も見ずに答えた。真夜中のツーリングも、そろそろお開きの時間だ。あと何時間かすれば、何もなかったように、薄汚れた街を駆けずり回るのだ。
巽は思わず呟いた。
「―――このままどっか行っちまいてぇな」
巽の背中にかかっていた心地よい重みが、ふっと軽くなる。巽は、背中が僅かに寒くなった気がした。次の瞬間、とん、と軽く松田の背中が巽の背に凭れなおした。巽は、それだけのことが、泣きたいほどに温かいと思った。
「もう来てんだろ」
「――んだよ、茶化すなよ」
「拗ねるなよ」
松田が笑って、腕を伸ばした。後ろ手に、巽の髪に手を差し入れ、くしゃくしゃとかき混ぜる。子供扱いをされたようで、巽は不機嫌に黙り込んだ。
「どしたよ、タツ?」
「―――どうせ、俺はガキだよ」
巽の拗ねた口調に、松田は、ふふんと笑った。
「そこがいいんじゃないの」